2005/03/16 - 2005/03/23
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さすらいおじさんさん
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カバーはウシュマルから15Kmに位置し、凱旋門のような石のアーチから始まる道はウシュマルと繋がっている。カバー遺跡は規模も小さく目立たないが、9〜10世紀はユカタン半島で屈指のマヤ文明都市であった。
カバーがメキシコの遺跡見学の最後の地となり、私が当初から疑問に思っていた「何故、繁栄を誇ったマヤ、アステカ文明が1000人にも満たないスペイン軍の前にいとも簡単に滅び去ったのか」に思いを馳せた。私の個人的な結論はこうだ。まず、トルテカ王がアステカに追われたときにケッツアルクアトル(神である羽の生えた蛇)になって東方から戻ってくる、と予言していた。1519年にスペイン軍がユカタン半島の東海岸トゥルムから上陸した際にアステカ、マヤ人は神が戻ったと信じた。これまで見たことの無い髭を蓄えた白い大男は神に思えたのだろう。次にアステカとそれに反撥する部族間で勢力争いがあり、スペイン軍は内紛を利用し、反アステカ部族と共同戦線を張ってアステカとたたかったことが上げられる。3点目はスペイン軍の将、エルナン・コルテスらはマヤ、アステカの女性を取り込み内部情報を正確につかんだこと。そして4点目にスペイン軍の鉄砲と巧みな騎馬技術に対し、アステカ、マヤは天文、建築に優れた技術があったものの、武器の技術は遅れていたことがある。これらの要素が組み合わさってもろくも滅亡していまったと考える。エルナン・コルテス率いるスペイン軍のこの手法はペルーのインカ帝国でもフランシスコ・ピサロが用いて1533年に滅亡させている。日本もポルトガル、スペインの植民地となる危機はあったのだろうが、日本は中央集権ではなく、各藩が自国防衛のためにポルトガルから鉄砲なども早くから取り入れ軍事力を蓄えていたこと、豊臣秀吉がキリスト教を弾圧し、外国人に人民掌握させなかったこと、その後鎖国政策を採ったことなどがあげられる。メキシコの旅ではその歴史を学ぶことで日本の歴史に思いを馳せることもできた。
(写真はカバー遺跡のアーチ)
=メキシコの旅 完=
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