2004/10/06 - 2004/10/08
31580位(同エリア79611件中)
JTBさん
2回目の硫黄島探訪記です
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航空自衛隊入間基地
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T-4練習機
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C−1輸送機の機内、かなり窮屈です。
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天山(硫黄島戦没者慰霊碑)
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天山
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天山周辺
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天山周辺の慰霊碑
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天山周辺
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天山周辺
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天山周辺
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天山では、未だに蒸気が噴出しています
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米軍の艦砲射撃でえぐりとられた山腹。
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摺鉢山の山頂
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摺鉢山からの硫黄島
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海軍の14cm砲(水平砲)
米軍の上陸作戦2日前の、掃海艇に砲撃を加えたため、その位置がばれてしまい、米軍の艦砲射撃の的になってしまいました。 -
海軍の14cm砲(水平砲)
結局、この砲を含めて13門の火砲が破壊されてしまった。 -
医務科壕(海軍硫黄島警備隊医務科壕)
動けない傷病兵を治療していた壕。54柱の遺骨が収集されています。 -
医務科壕の内部
当時の備品がそのまま残されています。 -
北観音
硫黄島の北地区で戦死した、日本軍将兵の霊の供養のため、昭和27年に硫黄島協会により建立。 -
銀明水
天井が、蒸留された水滴で銀色に光っているのでこの名前がついた。 -
銀明水の内部
中は、石灰成分を含んだ水により、鍾乳洞のように、石灰石の花が発達している。 -
金剛岩
昔は、高温の硫黄水蒸気が噴出していたが、現在では、だいぶ温度が低くなっている。 -
金剛岩周辺は、地熱の影響でかなり熱くなっています。
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米軍将兵の碑
日本軍が、19,900人の戦死者を出したの対して、米軍は6,821人の戦死者を出した。この場所に米軍戦死者が埋葬されていたが、小笠原諸島返還前に、米国本土の国立墓地に移された。 -
再会記念碑
米軍上陸のちょうど40年後の昭和60年に、生存していた当時の米軍将兵と硫黄島守備隊の勇士達が、再会し、恩讐を超えて両国の永遠の友好と平和を誓った記念碑。下の銅板2枚は、50年後の平成7年に再び再会した時に追加したもの。 -
南海岸のトーチカ
南海岸は、別名上陸海岸と呼ばれており、硫黄島の攻防戦では、この浜に米軍が上陸。米軍はこの浜を「侵攻海岸」と呼んでいる。 -
摺鉢山から見た「侵攻海岸」
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米軍上陸時は、この海が血に染まり、凄惨な状態だったと碑文に書かれていました。
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島内に残されている高射砲。
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帰路のC−1は、荷物がなかったので、足下が楽々でした。
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