2004/09/06 - 2004/09/10
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フランシスコさん
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60年代後半から10年ほどニューヨークタイムズを読んでいた。毎日なんて面倒くさいからウィークリーだ。
来る日も来る日も、一面には細長いベトナムの地図が載せられ、北爆(ケネディが始めたのだ!)の爆撃地、解放戦線と米韓南ベトナム政府軍との綱引きの境界線が示されていた。一進一退あったが、綱引きの終わりのように境界線はずるずると南に下がりつつあった。
けれども、1969年9月2日にホーチミンが死んだ時は、6年後の1975年、あんなにあっさりサイゴンが陥落し、南側が雪崩のようにほうほうの体で逃げ出すとは思っても見なかった。
国家主席でホーおじさんと親しまれた爺さんの痩身のどこから、あんなに持続するエネルギーが潜んでいて、どうしてそれを民衆に植え付けることができたのか。アジアの本当の英雄はさりげないものだと痛感する。
私の世代としては、ハノイでは、何はともあれホーチミンに敬意を表さねば叱られるような気がする。
ホーチミン博物館の筆跡(左写真)には、「団結! 団結! 団結! 成功! 成功! 成功!」と力強く書かれていました。
こちらにも旅コンテンツあります。
http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp
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ホーチミン廟見学者は、カメラ、所持品をあずけ、セキュリティチェックを受けてから、整列して待ちます。
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ホーチミン廟見学者のチェック場で。
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バーディン広場。右手がホーチミンの廟です。
1945年9月2日、この広場で彼はベトナム共和国の独立宣言を読み上げました。
この日はベトナムの建国記念日になっています。
奇しくも彼の命日も9月2日(1969年)。
廟はハスの形をかたどっているそうです。
廟内ではガラスケースに横たわったホー主席とご対面できます。
ただし、警備の警官は立ち止まったり、私語を許しません。
あっという間でした。
広場の上の空からは今にも雨が落ちそうな雲行きです。 -
ホーチミン廟を裏から見ています。
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ホーチミン廟の裏手の公園には、1954年から亡くなるまで執務した主席府。
池にはコイが一杯、周囲はジャスミンやザボンの樹が植えられています。
ザボンは青く、大きくなりかけていました。 -
主席府に隣り合って、ホーチミンが亡くなるまで暮らした住居が移築されています。
木造高床式。ただし見学者が多く、耐久性を考えて鉄骨で補強、漆塗りを施してありますから、全体として、瀟洒な家具みたいな建物です。
簡素なベッドや調度、読み物、書き物の道具は当時そのままとか。 -
ホーチミンの住居階下の打ち合わせスペース。
泥沼の中から勝利へはい出したしぶとい作戦はここから発せられたのでしょうか。 -
ホーチミン博物館。
1990年5月19日、生誕100年を記念して建てられた新しい施設です。
旧ソ連のレーニン博物館の監修で設計、施行、内装、演示されたそうです。
そのためではないでしょうが、正面はどことなく旧ソ連の将校のでかく上に反った帽子を連想させます。 -
ホーチミン博物館のシルクスクリーン・アートの展示室です。
近年のものが多く、ポスターチックです。
アートのレベルから言えば、美術博物館の洋画、水彩画の方が言うまでもなく上でしょう。 -
ホーチミン博物館の中央部。
これも……。
本道に置かれたご本尊のようです。
あんまりいいとは思えません。
ホーチミンに似合うとも思いません。 -
ホーチミン博物館展示室。
民族の独立から、ベトナム戦争(現地ではアメリカ戦争と言っています)、統一までの展観です。
元博物館キュレーターの目から見て、演示はよくできているなと感じます。
作りつけの「革命的オブジェ」はモダン過ぎるし、大げさだと思いますが、書簡や自筆資料の見せ方は上手です。 -
ホーチミン博物館。
ぎょっとしますが、ホーチミンの帽子、衣服、履き物の揃いです。
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