パパ旅行者さんへのコメント一覧全5件
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変わりゆく村
パパ旅行者さん
現在の村の様子と、「昔はこうだったのだろうな」という想像をふくらませながら読み進みました。
バスを下りて、村に上っていく道。眼下に見える風景。村を訪ねるときのわくわく感が伝わってきます。昔はドロドロだった道がセメント敷きになり、家はレンガやセメントに代わっていく。一方で水牛が野良から帰り、機を織る懐かしい姿も見かける。生活が豊かになり、便利になるとゴミの問題などが生じる。私が久しぶりにプーラン族の村を訪れた時と同じ光景です。雲南の村はこれからも変わり続けていくでしょうね。
書記の家でふるまわれた食事、美味しそうです。どんな有名店で食べるご馳走よりも、味が心にしみてきますね。
がおちんRE: 変わりゆく村
がおちんさん
いつもコメントをありがとうございます。
私は昔の雲南を知りませんが、がおちんさんの旅行記を見ながら、今の雲南を歩くと、変化ばかりが目につきますね。
がおちんさんのモンフン再訪の旅行記(だったか?)に、昔のダイ料理店のご主人の息子さんが、「豊かになったし、今の政府政策には満足している」というような感想をもらしているのが出てきますね。
私も同じような声を聞きます。
90年前後と比べて、少数民族の人びとも、中国国民という意識が強くなっているのでしょうか。
パパ旅行者
追伸: 4トラベルさんがサイト更新をして以来、MYページに入れなくなり、旅行記の投稿が出来なくなりました。中国からのアクセスが制限されているのか、他の原因か分かりません。ようやくいろいろなページを経由して、掲示板にたどり着きました。2012年07月07日23時19分 返信する -
時代なのかもしれません
パパ旅行者さん、こんにちは。
曼竜新寨の文章、楽しみに待っていました。
とても感慨深い思いで旅行記を拝見しました。私もパパ旅行者さんと同じようなスタイルで西双版納を旅していたからです。
歩いて村に行かれたことや、分かれ道の商店で道を聞いたり、村人がとまどったり、雨が降ってきたり、バイクに乗せてもらった女性から髪の匂いがしたりと、その日に出会った旅の光景が伝わってくるようです。その時は何でもなかったことが、ずっと後になって懐かしくなったりするものですね。
ラフ族村での顛末は残念でしたね。いかに信用してもらえるかが少数民族の村を訪ねるときの鍵になると思いますが、時間や場所のタイミングもあるので難しいです。私も、歓迎ムードじゃない時はカメラを出さずに立ち去るようにしています。しかし、10元、20元が100元になるのはおかしいですね。主人の笑顔の裏にそういう魂胆があったのはちょっと驚きです。モンフンもそういう時代なのかもしれません。でも、そんな経験も旅の一部ですね。
続編を楽しみにしています。
がおちんRE: 時代なのかもしれません
がおちんさん、
いつも読んでいただき有難うございます。
旅行記の中にも書きましたが、あの日の経験は何だったのだろうと今も考えます。
特にあのおじさんは、私が突然やって来たのにも全く驚く様子がなく、まるでこちらの欲しいものが分かっているかのように話されたので、逆に少し戸惑いました。
最後のバイクの値段は、別におじさんの悪意ではなかったのではとも考えます。
最近の山の若者たちは親の言うことを聞きませんし、頼んだ息子が行きたがらなかったので、別の親戚の子供に頼んだけれど、「100元」でやっと頷いた、といったところではないかと推測します。
おじさんが、名目的なガソリン代+10、20元で引き受けてくれると考えていたところ、若者たちはそうでなかったので、あのような結果になったのでは、と。
ただ、私ができるだけおだやかな調子で「高いんじゃないかなあ」と言ったのに対する答えは、とりつくしまのない冷淡なものに、少なくともその時は聞こえました。
いずれにせよ、本当のところは分かりません。
しかし、勝手に一方的に訪ねて行っているので、文句は言えませんね。
がおちんさんのおっしゃるとおり、これもひとつの経験だと思います。
がおちんさんの「克木族」の旅行記と私の「曼竜新寨」が、すごい対照をなしてなんだかおかしいです。
今後もどうぞよろしくお願いします。
パパ旅行者
2012年06月22日22時35分 返信する -
山のおばさん
パパ旅行者さん、こんにちは。
モンハイからモンフンまで1時間とは、貴重な経験をされましたね(笑)。
私が2009年に行ったときは高速を使って15分位でしたので、おそらく旧道を行かれたのだと思います。1990年前後でも1時間半ぐらいでしたから、道が良くなったわりには、あまり所要時間は変わっていないようですね。
パパ旅行者さんが書かれているように、売り物の野菜や家畜を持った地元の人々がバスに乗り込んで来て、車内がにぎやかになる。そんな光景に魅力を感じます。
トラジに座っている山のおばさんは、ヤーコウから来たアク族ですね。市場の中で山のお客さんが提げている青いかばん、昔は麻製だったのですが、今はナイロンになったようです。でも形は昔のままで懐かしいです。
今は少数民族もケータイやテレビを持つ時代ですから、昔のような雰囲気じゃないのも仕方ないですね。
Meng Back villageには笑いました。なんかカッコイイです。
がおちんRE: 山のおばさん
がおちんさん、
こんにちは。いつも見てくださり、ありがとうございます。
> モンハイからモンフンまで1時間とは、貴重な経験をされましたね(笑)。
> 私が2009年に行ったときは高速を使って15分位でしたので、おそらく旧道を行かれたのだと思います。1990年前後でも1時間半ぐらいでしたから、道が良くなったわりには、あまり所要時間は変わっていないようですね。
いま、デジカメ写真の時間データを見直してみましたが、本当に一時間かかっています。おっしゃるとおり、旧道を行ったのだと思います。モンハイからモン遮に向かって走り、「双佛橋」で打洛方向の道に入って行きました。そこから道沿いにはずっとダイ族の村が並んでいて(Meng Back villageもそのひとつ)、始終人が乗ってくるので、ずっと徐行運転でした。
> トラジに座っている山のおばさんは、ヤーコウから来たアク族ですね。市場の中で山のお客さんが提げている青いかばん、昔は麻製だったのですが、今はナイロンになったようです。でも形は昔のままで懐かしいです。
そういえば「アク」と言っていた気がします。デジカメを向けると、嫌だというふうに手を振ったので、近づいて話しかけました。「ハニか?」と聞くと、「アクだ」と答えたような気がします。
ヤーコウというのは「雅口」とか「Y口」と書くところですか? どういう意味なのでしょう。各地に同じ地名がありますね。
がおちんさんの昔の旅行記を見ると、本当に変化がはげしいですね。
90年前後に旅行されたのは、本当に貴重な経験だと思います。
パパ旅行者2012年06月08日00時03分 返信するアク族とヤーコウ
パパ旅行者さん
>>モンハイからモン遮に向かって走り、「双佛橋」で打洛方向の道に入って行きました。そこから道沿いにはずっとダイ族の村が並んでいて(Meng Back villageもそのひとつ)、始終人が乗ってくるので、ずっと徐行運転でした。
そうです、その道です。昔はモンハイからモンフンへは朝のバスしかなかったので、モンツォ行きに乗って「双佛橋」で降り、歩いてモンフンまで行ったこともありました。とても懐かしいです。私もそのバスに乗りたかったです。
>>そういえば「アク」と言っていた気がします。デジカメを向けると、嫌だというふうに手を振ったので、近づいて話しかけました。「ハニか?」と聞くと、「アクだ」と答えたような気がします。
当時もアク族は最も非友好的と言われていて、コミュニケーションをとるのが難しかったです。他の少数民族はすぐに村に呼んでくれましたが、アク族と仲良くなるのは時間がかかりました。写真を嫌うので、最初に村に行った時はカメラを持っていきませんでした。なので、「モンフンから阿克族の村へ」の旅行記は1年越しの記録なんです。
> ヤーコウというのは「雅口」とか「Y口」と書くところですか? どういう意味なのでしょう。各地に同じ地名がありますね。
そうです。丫口(埡口)は山と山に挟まれた谷の部分を意味します。峠道を走っていると、よくこの地名を見かけますね。たしかアク族は1988年に山の奥から村ごと移ってきたそうで、その場所がモンフンの盆地からダールオに向かう途中の山あいにあったため、地元民は便宜的にヤーコウという名称を使っていました。2009年に村を再訪したときは、高速道路を通すために村の場所が変わっており、阿克老寨という名前になっていました。
それにしても、双佛橋なんてマイナーな話題が通じる方がいて、嬉しいです。
がおちん2012年06月08日12時11分 返信するRE: ヤーコウ
がおちんさん、こんばんは。
ありがとうございます。私はFirefoxを使っているので、たぶん大丈夫だったと思います。英語の「ワイ」みたいな文字ですよね。
双佛橋もそうですが、私も「ヤーコウ」について教えていただけるような方がいて、とても嬉しいです。
しかし、アク族は特にそうなのでしょうが、旅行記に出てくる人びととは、時間をかけて友達関係を作られたのですね。
旅行記の各所にも出てきてはいるかと思いますが、初めて訪れる場所で、人びとのに対してこういうところを気をつけるべきだというのがありましたら、教えて下さい。
今後もよろしくお願いします。
パパ旅行者2012年06月09日23時22分 返信する少数民族と交流するコツ
パパ旅行者さん
> 初めて訪れる場所で、人びとに対してこういうところを気をつけるべきだというのがありましたら、教えて下さい。
中国はこの20年で大きく変わりました。雲南に住む少数民族の生活環境も同様です。かなりの山奥まで電気が通じ、テレビを見ているし、携帯電話を持っていますので、彼らの持つ情報量も飛躍的に増えたはずです。若い世代の人は漢族とそう変わらない印象も受けます。しかし、民族のアイデンティティや習慣、嫌忌などはそう変わるものではないと思います。90年前後、私が少数民族の人と交流しようと思った時に気をつけていたことがいくつかあります。今では古いスタイルだと思いますが、参考になれば幸いです。
まず、訪れたいと思う地域の情報を知るために、雲南民族出版社や雲南人民出版社などから出版されている各州の概況本や、その民族について書かれた本を読みます。その地域の歴史や地名、民族の宗教観、習俗などを大雑把に知っておくと便利です。今はネットを活用すればいいと思います。
次に現地に行ってからですが、
1:服装はなるべく地味にし、高価そうな時計、めがね、靴は着用しない。
場合によっては漢族と見られないほうが良いこともある。
2:市場に少数民族が来ていたら、女性よりも男性に話しかける。
タバコを用意しておき、1本わたす。
女性しかいなければ、若者よりも年配者に話しかける。
話のきっかけは民族衣装についてではなく、
彼らが提げているバッグや持ち物をほめる。
このときカメラは出さない。
笑顔を心がける。
3:村を訪ねる際、酒と肉を多めに買って持って行く。
村の長を教えてもらい、挨拶に行く。
村では相手が出したものを断らない。
特に酒や食事を断ってはいけない。
初回の訪問では、なるべくカメラを出さない。
反対に向こうから写真を希望されたら、
各家庭の写真を撮り、必ず再訪時に持参(郵送はだめ)する。
その民族の言葉を少しでも覚えて会話する。
子供を相手に、数の数え方、身体の部分の名称、簡単な挨拶などを教えて もらう。そのとき子供に馴れ馴れしく触れない。(特に頭)
私はこんな点に注意をしていました。当時は未開放地区であっても、村の人に信用されれば歓迎され、公安に通報されることもありませんでした。唯一、西盟のワ族の村に滞在したときだけ苦労した経験がありますが、他では問題ありませんでした。
パパ旅行者さんの旅行記を拝見しますと、現地の方とうまく交流されていると思います。誰もが行くようなメジャーな場所ではなく、田舎を旅されているところに魅力を感じます。
がおちん2012年06月10日21時23分 返信する -
おじさんの蒸留酒
パパ旅行者さん、こんにちは。
孟連の市場、良い雰囲気ですね。私も米線屋に並んで座り、少数民族の人たちの話に耳を傾けたくなりました。おじさんの売っていた酒も飲んでみたいです。きっと美味いと思います。
モンアでは公安に歓迎されたようですね(笑)。でも、色々な理由で足止めされるほど、雲南の旅は旨みが増すような気がします。
曼竜新寨はラフ族の家に行かれたのですね。おじさんがいい笑顔です。モンフンと周辺旅行記のコメントも楽しみにしています。
がおちんRE: おじさんの蒸留酒
がおちんさま
こんにちは。
> モンアでは公安に歓迎されたようですね(笑)。でも、色々な理由で足止めされるほど、雲南の旅は旨みが増すような気がします。
私はつい帰りを急いでしまう傾向があるのかも知れません。予定が変わってももっとゆっくりした方がいいのかとも思います。最近は交通が格段に便利になったので、かえって予定を立ててしまうのかも知れません。
> 曼竜新寨はラフ族の家に行かれたのですね。おじさんがいい笑顔です。モンフンと周辺旅行記のコメントも楽しみにしています。
そうです、ラフ族です。でも同じモンハイ県のラフ族でも、モンア郷のラフ族とは、衣装や髪型(モンフンでは既婚女性は髪を短くしています。昔は剃っていたとか)が違うので一度見たいと思っていました。コメントが遅れていますが、忘れないうちに加えたいと思います。
モンフン周辺行きは、がおちんさんの旅行記に刺激されて行きました。
旅行記をいつも楽しみにしています。
パパ旅行者
2012年06月01日14時40分 返信する -
いなかの旅、いいですね
パパ旅行者さん、はじめまして。
渋い地域を旅行されていますね。
私も雲南の田舎が大好きです。
自分が訪れた場所もあり、感慨深く旅行記を拝見しました。
続編を楽しみにしています。
がおちんRE: いなかの旅、いいですね
がおちんさま
初めまして。あいさつが遅れましてすいません。フォローさせていただきました。
がおちんさんの90年前後の旅行記を読み、予定を変更して、モンフン周辺に行きました。
私は昔の雲南を知りませんが、だいぶ変わっていると思います。
雲南民族学院にいらしたとのこと、こちらで少数民族幹部と会うと、学生時代に民族学院で日本人と交流したと話してくれる人が時々います。
当時は民族学院で学ぶ日本人も多かったのでしょうか。
この後もどうぞよろしくお願いします。
パパ旅行者
2012年05月30日14時17分 返信するRE: RE: いなかの旅、いいですね
パパ旅行者さん
> 当時は民族学院で学ぶ日本人も多かったのでしょうか。
多くはなかったです。私が民院にいた時、日本人は5人でした。
> がおちんさんの90年前後の旅行記を読み、予定を変更して、モンフン周辺に行>きました。
> 私は昔の雲南を知りませんが、だいぶ変わっていると思います。
当時は交通が不便でした。景洪からモンフンまでも、バスだと2日がかりの移動だったので、今とは距離感覚がずいぶん違いました。また、少数民族の村には歩いて行くしかなかったので大変でした。私も2009年にモンフンに行ったのですが、あまりに交通が便利になっていたので驚きました。
どの時代であっても初めて訪れた土地は新鮮で楽しいと思います。パパ旅行者さんの訪れた地は私が行っていない場所も多く、とても興味深いです。
他の旅行記もゆっくり見させていただきます。
がおちん2012年05月30日18時42分 返信する