![モンフンから賀開村の曼竜新寨へ行きました。<br /><br />この日にあったことは何だったんだろう、と今でも考えます。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/67/47/650x_10674730.jpg?updated_at=1339464736)
2012/05/27 - 2012/05/27
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パパ旅行者さん
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モンフンから賀開村の曼竜新寨へ行きました。
この日にあったことは何だったんだろう、と今でも考えます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.0
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-
モンフン大佛塔から降りて、町に戻ってきました。
12時20分です。
これから村へ行く前に、お腹をふくらしておくことにします。
交差点にダイ族の屋台がありました。
ボクの好物の糯米と串焼き肉です。
適当なダイ語で、糯米2元、串焼き肉4本を注文します。
するとおばさんが、「あら、ダイ語出来るの」と気づいて、笑ってくれました。
ふつうは、こちらがダイ語らしきものを話しても、漢語を話していると思い込んでいる相手には、なかなか通じないものなのですが。 -
その会話を、そばで、山の人らしい、おばあちゃん、お母さんと子供が聞いていました。
彼ら同士で、あらダイ語を話しているよ、みたいなことを言っていたので(何語で言っていたか今思い出せませんが、なぜかそう言っているのが分かりました)、彼女らに話しかけました。
「アク」族だそうで、ダイ語、ハニ語など少しずつ話すそうです。
おばあちゃんも「普通話」が出来たので、驚きました。
年配の人は、中国語は方言しか出来ないだろうと思っていたので。
アク語とハニ語とは、「少し似ているけど、違う」と言いました。 -
お腹もふくれたので、村へ出発することにしました。
目指すは「曼弄」(マンノン)村です。
「社会歴史調査」という本に出てくるラフ族村で、数日前にモンハイで買ったvcdの一枚もここで撮影されたものでした。
ネットの地図で確認すると、モンフンの町から4キロぐらいの距離です。
遠くないし、ダイエットのため、歩いて行くことにしました。
歩きすぎるモンフンの町の携帯ショップでは、山の人が携帯を選んでいました。 -
町を出る前に、水分を確保しておかなければなりません。
どこかで乗ったバスで、地元の人が飲んでいた「Red Bull」というタイのスポーツドリンクがあったので、買ったら、3元と割安でした。
そう思ったのは間違いで、「紅牛」(Red Bull)でなく、「冰牛」でした。
味は、薄めのリポビタンといったところ。 -
モンフンの町を出るところには、お寺のようなところがありました。
寄ってみます。 -
お寺の境内によくあるような、大きな木があります。
-
いつか分かりませんが、積徳のお祭りもやったようです。
-
建設中の仏塔がありました。
-
敷地内には、ステージとバスケットボールコートがありました。
中国では「村公所」にバスケットボールコートが敷設されていることが多いですが、ダイ族地域では、お寺と村公所が一緒になっている場合もあります。
ここは村公所ではありませんが、お寺と行政施設が一体化しているようです。 -
「民族広場」と書かれていました。
モンフンの水かけ祭りもここでやるのだと思います。 -
民族広場を見終えて、もとの道に戻ります。
この道をずっとまっすぐ行けば、目的の村に着くはずです。 -
バイクやトラクターに乗った人たちが、追い越して行きます。
ダイ族も山の人たちも、もう歩くなんて考えられないのでしょう。
かつては歩いた道だったはずですが。 -
道の脇に、スイカ畑が見えます。
ダイ族は、どこにいってもスイカを作っているようです。 -
そして、用水と田んぼも広がります。
-
途中から、雨模様になってきていました。
道の分かれ目があります。
地図で調べたところでは、真っ直ぐ進むべきですが、脇道の表示を見ると、目的村近くにある村の名前が、脇道の到達点として出ています。
トラジで通りかかった人に聞いてみました。
「曼弄、曼弄(マンノン、マンノン)、ラフ族の村だ」と言うと、地図を見たりしながらしきりに考えていましたが、「あっちだ」と脇道の方を指しました。 -
ボクはそれにしたがって、脇道を進むことにしました。
しかし、町から4キロぐらいのはずなのに、さっきの男は「遠いよ」と言いました。
途中にはスイカ畑が並び、内地からトラックできた仲買人に、地元のダイ人たちが、スイカを納めていました。
何度も道を聞きましたが、内地の漢族は、地元のダイ族に聞けと答えました。
地元のダイ族たちは「マンロン、ムスー(=ラフのこと)、あっちだ、でも10キロ以上あるよ」と答えました。
どうも距離が地図で調べて来たのとだいぶ違いますが、ダイ族たちは、ラフ族村なら向こうだと、みんな確信をもって答えます。
雨の中、とにかくそっちの方へ、歩き続けました。 -
この分かれ道の右側を登って行くのだそうです。
明るいとはいえ、もう夕方です。
そしてまだだいぶ遠いと言います。 -
この村は、賀開村の中心で、村公所がありました。
-
分かれ道のところにあった商店に寄って、水を買い、座って休憩します。
漢族の主人に顛末を言って、地図を示すと、主人はそれに見入りました。
ボクは、地図なんて読めるのかなあと思ってみていました。
主人は、ボクが目指す村は、こっちのほうでなく、こっちのずっと言ったところにあるはずだ、と言います。
結局、あとでどうやらこういうことだったらしいと思ったのは、本やvcdに「曼弄(老寨)」(マンノン)と書かれていたのは、「曼竜老寨」(マンロン)だったのでは、ということです。
中国語ではNとLは近い音ですし、民族地域の漢字表記は統一されていない多いです。 -
4キロぐらいだと思い、ハイキングしてきましたが、これなら初めからモンフンの町でバイクタクシーをつかまえておけばよかったかも知れません。
バイクタクシーの運転手なら、地元の地理もしているでしょうし。
山道をにらみながら、諦めて引き返そうか、雨の中歩いたのは全くの無駄だったかと思っていました。
と、店の主人が、「ラフ族の村ならばそこにもあるよ」と言いました。
見ると、カラフルな巻きスカートを穿いた女性が、村には行って行くところでした。
ボクは、早速立ち上がって、すぐそこの村を見に行きました。 -
ラフ族の村と言いますが、家を見るとなんだかダイ族みたいです。
-
行き当たりばったりで、家のひとつに入ってみました。
入口の階段の上に、毛沢東のポスターが貼ってありました。 -
テラスではお母さんが民族工芸品をつくっていました。
-
ここではお茶を大々的に栽培しているそうです。
-
母屋の中に囲炉裏がありました。
でも、家の人たちは、一応話してはくれますが、突然の訪問者にとまどい、早く過ぎてくれるのを願っているようすでした。
この家を出ます。 -
別の家では、若者4人がテラスにたむろしていました。
初めての村で、若者に話しかけるのはあまり得策でありませんが、留守の家も多かったので、家を見せて貰いました。
聞くと、この村には村長もいないし、祭祀場もないそうです。
それで村なのでしょうか。 -
新しいタイプの家もありました。
留守らしく、扉が閉まっていました。 -
なんだかおもしろくない村だな、と思いましたが、帰る前に、もう一軒だけ当たってみました。
(勝手に押しかけておきながら「おもしろくない」というのは失礼ですが) -
適当に入りましたが、家の主人がいて、すぐに話に応じてくれました。
「あなたは村長ですか」と聞くと、「そうだ」と言います。
「あれ、さっきの村人たちの話と違うじゃないか」と思いました。
聞くと、ここは出小屋集落みたいなもので、10数キロ行った奥に、もっとちゃんとした集落があるそうです。
祭祀場も、この村にはないが、奥の村にあるとのこと。 -
日本からもってきた「PEACE」を一箱あげました(ボクは煙草が嫌いなので吸いませんでしたが、無理してでも一緒にのんだ方がいいのかも知れません)。
「今日は泊まって行くのか」と聞かれましたが、初めて訪ねた村ですし、「帰る」と答えました。
「じゃあ今度来たら、バイクで奥の村に連れて行ってあげる。息子がバイクをもっているので、息子に乗せてもらって行けばいい」と家の主人が言いました。 -
先ほどの2軒とは打って変わったようです。
突然の闖入者に対する不審や驚きもないし、へんに親切です。
それは有り難いはずですが、ボクはなんだか違和感をもっていました。
観光地の客引きにつうじるような、これはうますぎると思わせるような態度に思えたからです。
でも、少数民族の村で、そんなことってあるんでしょうか。 -
この主人も、村ではお茶を作っている、と言いました。
村のすぐ近くには学校があって、数村の子供が通っているそうです。 -
ひととおり話して、また来るからと言って、連絡先をもらい、おいとますることにしました。
主人に、「バイクを探してくれないか、少しガソリン代を払うから」と言うと、「息子のバイクがある。ガソリン代の他に10、20元くれればいい」と言って、主人は息子を探しに行きました。 -
待っているあいだ、主人の奥さんらしい人が歩いて行きました。
カラフルな巻きスカートを穿いています。
頭は短く刈っています。 -
これがさっき話に出た学校です。
-
町から戻ってきた人たちが、バイクトラックに乗って、通り過ぎて行きました。
-
主人がやっと戻ってきました。
バイクに乗った、無愛想な顔の若者と一緒です。
息子は行きたくないと言ったらしく、別の若者に頼んだようです。
主人はボクに、「ガソリン代50元、他に50元払えばいい」と言いました。
ボクが怪訝そうな顔をしていたためか、主人は繰り返しましたが、要するに「全部で100元」ということでした。
それはいくら何でも高い、敵対者に対する値段だと思い、しかしおだやかに「ちょっと高いんじゃないかなあ」とボクは言いました。
しかし、主人は「100元だ、でないと彼(若者)は引き受けない。あんたが受けないなら、それまでだ」と、歩み寄りの余地がないように、言いました。
別に歩いてもいいと思っていたので、ボクはバイクを断って、歩き始めました。 -
さっき通ったダイ族村に来ました。
田植えをしています。
後味の悪い思いがつづいていましたが、くさってもしょうがないので、また写真を撮りながら帰るかと、考え直そうとしました。 -
ダイ族の村を過ぎたところで、通りがかりのダイ族の男に、バイクにのせてもらいました。
ところが、しばらくすると雨が降り出しました。
ダイ族の男は、バイクごと近くのスイカ作業小屋に雨宿りすることにしたので、ボクはまた歩き始めました。 -
傘を差してはいましたが、雨の中をあるいてずぶ濡れです。
ところが、ボクを追い抜いていったバイクが、前で泊まりました。
モンハイに行くという、若いダイ族の女性が、バイクにのせてくれました。
雨の中歩いているボクを見て、すぐ「老外」(外国人)だと分かったと言います。
背丈、服装、リュックなどで分かるそうです。
この辺にも「老茶樹」を見に外国人が来ることがあるそうで、自分たちも外国人にダイ族料理を作って食べさせたこともあると言いました。
彼女は盛装して、厚い化粧をしていました。
バイクの後ろに座っていると、髪のいい香りがにおってきます。
これから打洛で友人の家の新築式があるので、モンハイで友人と合流して、打洛に出かけるのだと言いました。
彼女の年齢は「24、5歳」で、一度結婚したが離婚し、子供はいないとのことでした。
彼女のたどたどしい「普通話」は、中国語の得意でないボクには、かえってわかりやすいものでした。
モンハイに着き、連絡先をもらい、礼を言って別れました。
写真を撮らせてもらうのを忘れました。
人と交流しているときに限って、忘れてしまいます。
6時過ぎのバスに間に合い、15分ぐらいで、モンハイに着きました。
今日あったことは、何だったんだろう、と考えました。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- がおちんさん 2012/06/22 07:57:22
- 時代なのかもしれません
- パパ旅行者さん、こんにちは。
曼竜新寨の文章、楽しみに待っていました。
とても感慨深い思いで旅行記を拝見しました。私もパパ旅行者さんと同じようなスタイルで西双版納を旅していたからです。
歩いて村に行かれたことや、分かれ道の商店で道を聞いたり、村人がとまどったり、雨が降ってきたり、バイクに乗せてもらった女性から髪の匂いがしたりと、その日に出会った旅の光景が伝わってくるようです。その時は何でもなかったことが、ずっと後になって懐かしくなったりするものですね。
ラフ族村での顛末は残念でしたね。いかに信用してもらえるかが少数民族の村を訪ねるときの鍵になると思いますが、時間や場所のタイミングもあるので難しいです。私も、歓迎ムードじゃない時はカメラを出さずに立ち去るようにしています。しかし、10元、20元が100元になるのはおかしいですね。主人の笑顔の裏にそういう魂胆があったのはちょっと驚きです。モンフンもそういう時代なのかもしれません。でも、そんな経験も旅の一部ですね。
続編を楽しみにしています。
がおちん
- パパ旅行者さん からの返信 2012/06/22 22:35:20
- RE: 時代なのかもしれません
- がおちんさん、
いつも読んでいただき有難うございます。
旅行記の中にも書きましたが、あの日の経験は何だったのだろうと今も考えます。
特にあのおじさんは、私が突然やって来たのにも全く驚く様子がなく、まるでこちらの欲しいものが分かっているかのように話されたので、逆に少し戸惑いました。
最後のバイクの値段は、別におじさんの悪意ではなかったのではとも考えます。
最近の山の若者たちは親の言うことを聞きませんし、頼んだ息子が行きたがらなかったので、別の親戚の子供に頼んだけれど、「100元」でやっと頷いた、といったところではないかと推測します。
おじさんが、名目的なガソリン代+10、20元で引き受けてくれると考えていたところ、若者たちはそうでなかったので、あのような結果になったのでは、と。
ただ、私ができるだけおだやかな調子で「高いんじゃないかなあ」と言ったのに対する答えは、とりつくしまのない冷淡なものに、少なくともその時は聞こえました。
いずれにせよ、本当のところは分かりません。
しかし、勝手に一方的に訪ねて行っているので、文句は言えませんね。
がおちんさんのおっしゃるとおり、これもひとつの経験だと思います。
がおちんさんの「克木族」の旅行記と私の「曼竜新寨」が、すごい対照をなしてなんだかおかしいです。
今後もどうぞよろしくお願いします。
パパ旅行者
- パパ旅行者さん からの返信 2023/03/06 21:36:19
- Re: 時代なのかもしれません
- がおちんさん、
旅行記に書いた旅行ももう10年以上前のことになってしまいました。
がおちんさんは、その後お元気でお過ごしですか。
私はこの3月に家族四人で九州に引っ越すことになりました。
ご縁があればどこかでお会いできれば幸いです。
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