kbdotさんのクチコミ全4件
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投稿日 2020年04月30日
総合評価:5.0
「明代城壁」
西安市内をぐるりと囲んでほぼ完全な形で現存する城壁です。
完全に保存されている古代城壁の中で世界最大のものです。
明代初期(14世紀)に唐の長安城壁を基礎として構築されました。
周囲13.7kmの長方形で、高さ12m、基礎部分の幅は15~18m、上部の幅は12~14m
もあり、レンガで築かれています。城壁の外側には攻撃孔が5894も開いています。
城壁の東西南北に門があり、その4箇所から城壁の上へ登ることができるようになっています。
西側の「安定門」は城壁の中で最大の門でシルクロードの発着点でした。
全体は外濠に囲まれています。
城壁の上はまるで広い道路のようです
カートや自転車での移動ができ、また歩いては40時間もかかるそうです。
現在は喫茶店もあり現代風な光景と混ざってました。
「長安」(現在の西安)は日本からの遣隋使・遣唐使が目指した都で、平城京(奈良)や平安京
(京都)のモデルとなった都です。
古の日本が敬いそしてモデルとしたのが納得できます。
西安を約7世紀にわたり見守ってきた「明代城壁」は、圧巻のロマンがあります。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2020年04月29日
総合評価:5.0
火焔山は新疆ウイグル自治区の天山山脈付近にある丘陵です。
長さ98キロメートル、幅9キロメートルにわたって横たわっています。
山がまるで炎のように見えることから「火焔山」というそうです
砂岩が侵食してできた赤い地肌には、確かに炎を思わます。
その迫ってくるような赤い丘陵の光景が目の前に拡がります。
それらはラクダの隊列が山肌に溶け込んでいる火焔山、
ひとが楽しんだ跡の模様がある火焔山、
そしてまるで日本の富士山を思わせるような優しい火焔山などそれぞれです。
火焔の山々は個性豊かに燃えています。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
投稿日 2020年04月28日
総合評価:4.0
ベセクリク千仏洞は火焔山の山中を流れるムルトゥク川の沿ったオアシスに造られた石窟寺院です。
6世紀から造られ始め、13世紀元の時代まで造られ続けました。現存する83の窟です
偶像崇拝を禁止するイスラムによって千仏洞の壁画の多くは泥を塗って隠され、人物の顔は破壊されました。
20世紀に入りドイツ調査隊やイギリス、ロシア・・・、そして日本の調査隊も壁画を持ち帰りました。
ベゼクリク千仏洞の壁画は残念ながら多くの被害を受けました。
しかし 険しい美しい火焔山に見守られているかのような美しい石窟寺院です。
そして熱い信仰心を感じるのに充分です。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2020年04月06日
総合評価:4.5
「秦始皇兵馬俑博物院」にある「兵馬俑」に行ってきました。
「兵馬俑」は始皇帝の始皇帝陵を永遠に守る陵墓の副葬品として、埋葬されたものです。
その数約8000体です。始皇帝の絶大な権力を物語っていました。
秦の始皇帝は紀元前221年に初めて中国を統一し、紀元前210年に49歳で亡くなりました。
「兵馬俑」は始皇帝の始皇帝陵を永遠に守る陵墓の副葬品として、埋葬されたものです。
発見されたのは1974年です。まだ半世紀も経ていません。
世界の考古学史上、20世紀最大の発見とされています。
それらはスケールの大きさだけでなく、美しさにも感動しました。
約2200年の眠りから覚めて姿を現し、現代の私たちに何かを語っているようでした。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- その他
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5