一歩人さんのクチコミ(186ページ)全4,603件
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投稿日 2009年05月26日
総合評価:5.0
浅草御蔵は、江戸幕府が全国に散在する直轄地すなわち天領から
年貢米や買い上げ米などを収納、保管した倉庫である。
大坂、京都二条とあわせて三御蔵といわれ、特に重要であった。
浅草御蔵は、浅草御米蔵ともいい、ここの米は主として旗本、御家人の
給米用に供され、勘定奉行の支配下に置かれた。
元和6年(1620年)浅草鳥越神社の丘を切り崩し、隅田川西岸の
奥州街道沿い。現在の柳橋2丁目、蔵前1・2丁目にかけての地域を
埋め立てて造営した。
江戸中期から幕末まで、浅草御蔵の前側を「御蔵前」といい、
蔵米を取り扱う米問屋や札差の店が立ち並んでいた。
現在の「蔵前」という町名が生まれたのは昭和9年。
浅草御蔵跡碑(あさくさおくらあとひ)
台東区浅草橋2-1
JR 浅草橋駅より 徒歩15分
http://taito-culture.jp/city/landscape/si_216/208/s1.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月26日
総合評価:5.0
この碑から約100m川下の浅草御蔵の四番堀と五番堀のあいだの隅田川岸に、
枝が川面にさしかかるように枝垂れていた「首尾の松」があった。
由来に
(1)三代将軍家光の面前で謹慎中の阿部豊後守忠秋が隅田川氾濫の時、
人馬もろとも勇躍して川中に飛び入り見事対岸に渡りつき、家光がこれを
賞して勘気を解いた。
(2)吉原に遊びに行く通人たちが、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだが、
上り下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を求め語った。
(3)首尾は「ひび」の訛りから転じたとする説。江戸時代このあたりで海苔を
とるために「ひび」を水中に立てたが、訛って首尾となり、近くにあった松を
「首尾の松」と称した。
初代は、安永年間(1772~80)風災に倒れ、植え継いだ松も、
安政年間(1854~59)に枯れ、三度植え継いだが枯れ、その後
「河畔の蒼松」に改名したが、関東大震災、戦災で全焼した。
昭和37年12月、これを惜しんだ浅草南部商工観光協会が
地元関係者とともに、碑を建設し、現在の松は7代目。と。
首尾の松
台東区浅草橋1-3
JR 浅草橋駅より 徒歩15分
http://taito-culture.jp/city/landscape/si_216/204/s1.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月26日
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投稿日 2009年05月26日
総合評価:5.0
浅草文庫は、明治7年(1874年)に創設された官立の図書館。
翌8年に開館し、公私の閲覧に供した。
当時の和・漢・洋の蔵書は13万冊ともいわれた。
現在その蔵書は、国立公文書館内閣文庫や国立国会図書館、
東京国立博物館などに所蔵され、太政官大臣三条実美(さんじょうさねとみ)の
筆跡と伝える「浅草文庫」の朱印が押されている。
明治14年5月に閉鎖。跡地は翌15年に設立の東京職工学校
(旧東京高等学工業学校、」現、東京工業大学)の敷地の一部となった。
関東大震災後の大正13年、当時の東京高等工業学校は、
目黒区大岡山に移転。昭和3年に現在地に榊神社が移って来たあたりは、
浅草文庫が位置していたところ。と。
浅草文庫跡(榊神社)
台東区蔵前1-4-3
JR 浅草橋駅より 5分
03-3851-1514
http://taito-culture.jp/city/landscape/si_216/205/s1.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月26日
総合評価:5.0
蔵前(くらまえ)は、幕府の御米蔵がこの地にあったことに由来する。
その蔵の前の地というのが地名にもなった。
この御米蔵は、元和年間に大川端を埋め立てて建てられたが、
盛時には、数十棟もの蔵が建ち並んでいたという、
ここに関東各地から舟運によって、米が集積された。
近代になって、政府関係などの倉庫となり、その中には浅草文庫という
書庫などもあった。
現在の橋は、大震災復興事業の一環として、昭和2年(1927年)に完成。
蔵前橋
台東区浅草橋1-3
JR 浅草橋駅より 徒歩15分
http://taito-culture.jp/city/landscape/si_216/204/s1.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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江戸時代の測量技術を解明するなら国立科学博物館、上野公園散策の巻
投稿日 2009年05月25日
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日本の暦のうつりかわりのことなら国立科学博物館、上野公園散策の巻
投稿日 2009年05月25日
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幕府の天文・暦術・測量を行う施設がった天文台跡、浅草橋散策の巻
投稿日 2009年05月25日
総合評価:5.0
江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを
行う施設として天文台がおかれていた。
天明2年(1782年)牛込藁店(わらだな:現、新宿区袋町)から移転、
新築された。正式の名を「領暦所御用屋敷」という。
その規模は、「司天台の記」によると周囲屋久3.6m、高さ9.3mの
築山の上に、約5.5m四方の天文台が築かれ、43段の石段があった。
天文方高橋至時(よしとき)らが寛政の改暦に際して、観測した場所であり、
その弟子には、伊能忠敬(ただたか)がいる。と。
天文台跡
台東区浅草橋3
JR 浅草橋駅より 徒歩10分
http://taito-culture.jp/city/landscape/si_216/197/s1.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
-
投稿日 2009年05月25日
総合評価:5.0
創建は、江戸初期。
伝承では、武田家家臣高坂弾正(こうさかだんじょう)の子。
江戸の三甚内とも呼ばれた。
(吉原を仕切った庄司甚内。古着市を仕切った鳶沢甚内。
瘧(おこり:マラリア)にご利益のある高坂甚内)
主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうちに宮本武蔵に
見出され剣を学び奥義を極めた。
武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、
瘧に苦しんでいたところを幕府に捕らえられた。
鳥越の刑場で処刑されるとき、
「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄(こんぱく)を留、
瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といあったところから。
病の治療を祈る人々の信仰を集めた。と。
甚内神社(じんないじんじゃ)
台東区浅草橋3-11-5
JR 浅草橋駅より 徒歩10分
http://taito-culture.jp/city/landscape/si_216/198/s1.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月24日
総合評価:5.0
奥州の安部貞任らの乱(前9年の役)鎮定にため、この地を通った、
源頼義、義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、
大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名付けた。
徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前4丁目16番付近)は、
関東大震災で焼失したため大正14年に当社に合祀された。
鳥越神社
台東区鳥越2
JR 浅草橋駅より 徒歩10分
03-3851-5033
http://www.city.taito.tokyo.jp/index/064587/052688.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
グラウンドに残る池の一部と大イチョウは、蓬莱園跡、浅草橋散策の巻
投稿日 2009年05月24日
総合評価:5.0
忍岡高校のグラウンド東北隅に今も残っているとか。
大池を中心に、岡を築き、樹木を植え、13基余の燈籠を配し、
園内各所に雅趣ある名称を付した。面積は約2,600坪に及び、
池水は鳥越川から取り入れた。と。
蓬莱園跡
台東区浅草橋5−1−20
03-5246-1323(台東区公園緑地課)
http://www.city.taito.tokyo.jp/index/064576/041663.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
都立忍岡高校にあった平戸藩の庭園は、蓬莱園跡、浅草橋散策の巻
投稿日 2009年05月24日
総合評価:5.0
江戸時代、肥前国(現、佐賀県、長崎県の一部)平戸藩主松浦氏に屋敷があった。
寛永9年(1632年)松浦氏は、幕府からこの地を与えられ、別邸を造営し、
庭園を築造した。庭園はのち蓬莱園(ほうらいえん)と命名された。
蓬莱園跡
台東区浅草橋5−1−20
03-5246-1323(台東区公園緑地課)
http://www.city.taito.tokyo.jp/index/064576/041663.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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江戸初期まで日本橋馬喰町にあった、初音森神社 、浅草橋散策の巻
投稿日 2009年05月24日
総合評価:5.0
創建は元弘年間(1330年頃)。
文明年間(1469~1486)に太田道灌公により大社殿が建てられた。
当時は、初音の里と呼ばれ奥州街道沿いの森で、現在の馬喰町靖国通り
交差点辺りであった。
天文20年(1551年)に社前に馬場が出来、初午祭には馬追いの催し等は
行われた。
初音森神社(儀式殿)
中央区東日本橋2-27-9
03-3631-4982
JR浅草橋駅徒歩5分
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/13_sumida/13026.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
明暦大火後に隅田川を渡った本社は、初音森神社 、浅草橋散策の巻
投稿日 2009年05月24日
総合評価:5.0
徳川幕府入府後、この所が見附番所(浅草見附門)建設にあたり、境内の
半分が削られ、更に明暦大火後、その別当地も関東郡代屋敷用地となり、
現在の本社(墨田区千歳)へ替え地を拝領し遷営。
初音森神社(本社)
墨田区千歳2-4-8
03-3631-4982
JR総武線「両国駅」 徒歩10分
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/13_sumida/13026.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月24日
総合評価:5.0
大正13年(1923年)の関東大震災で落ちたが、
復興局は支流河口部の第一橋梁には復興橋梁をと、
昭和4年(1929年)に完成。
平成11年に区民有形文化財に登録された。
柳橋(やなぎばし)
台東区柳橋1-1-1
JR浅草橋より 徒歩5分 柳橋
http://mediaport.on.coocan.jp/kandagawa/bridges/yanagibashi.htm- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月23日
総合評価:5.0
敵の侵入を防ぐために「見附」と呼ばれた牛込見附(牛込御門)。
外堀が完成した寛永13年(1636年)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英
(松平阿波守)によって石垣が建設された。石垣の一部に刻印あり。
江戸時代の牛込見附は、田安門を起点とする「上州道」の出口と
いった交通の拠点であった。と。
区域:外曲輪
門名:牛込門
門構:内枡形・右折
建築:高麗門・櫓門
摘要:特になし
(参考:歴史群像・名城シリーズ「江戸城」、学習研究社刊、2000年4月20日初版)
牛込橋
千代田区飯田橋四丁目~新宿区神楽坂二丁目
飯田橋駅東口すぐ
03-3292-5530(千代田区観光協会)
http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/762/Default.aspx- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月23日
総合評価:5.0
牛込橋の手前で解説がついていました。
牛込橋
千代田区飯田橋四丁目~新宿区神楽坂二丁目
飯田橋駅東口すぐ
03-3292-5530(千代田区観光協会)
http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/762/Default.aspx- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月23日
総合評価:5.0
水戸徳川家の中屋敷だったが、上屋敷焼失にともない上屋敷となった。
小石川門はこの上屋敷の正面にあったとか。
明治に門は撤去、見附橋も撤去され、新たな橋が架設された。
現在の橋は、昭和2年(1927年)に架けられたものとか。
区域:外曲輪
門名:小石川門
門構:内枡形・右折
建築:高麗門・櫓門
摘要:特になし
(参考:歴史群像・名城シリーズ「江戸城」、学習研究社刊、2000年4月20日初版)
小石川橋
千代田区飯田橋三丁目~文京区後楽一丁目
水道橋駅西口より徒歩1分
03-3546-6525(中央区観光協会)
http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/640/Default.aspx- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月23日
総合評価:5.0
江戸時代、関東の幕府直轄領の、年貢の徴収・治水・領民紛争の処理などを
管理した関東郡代の役宅があった場所。と。
関東郡代は、天正18年(1590年)徳川家康から代官領に任命された
伊奈忠次(いなただつぐ)の二男忠治(ただはる)が、寛永19年(1642年)
に関東諸代官の統括などを命じられたことにより始まる。
元禄年間(1688~1704)には、関東郡代の名称が正式に成立し、
代々伊奈氏が世襲した。と。
関東郡代屋敷跡
中央区日本橋馬喰町2
JR浅草橋駅から徒歩5分
03-3546-6525(中央区観光協会)
http://www.chuo-kanko.or.jp/guide/spot/nihonbashi/nihonbashi_05.html- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年05月23日
総合評価:5.0
浅草観音への道筋であり、浅草橋門と呼ばれたとか。
区域:外曲輪
門名:浅草橋門
門構:内枡形・右折
建築:高麗門・櫓門
摘要:特になし
(参考:歴史群像・名城シリーズ「江戸城」、学習研究社刊、2000年4月20日初版)
浅草見附跡
中央区日本橋馬喰町2-7
JR浅草橋駅から徒歩5分- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0























