キューバ 基本情報 クチコミ(8ページ)
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「8月のキューバは猛暑!!」と日本から団扇を持参しました。
- ドク金魚 さん
- 女性 / キューバのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2000/08(約25年前)
珍しいのか、観光地の係の女性に「売って」と言われました。
暑いので断りましたが、売れば良かった!
だってキューバの通貨は手に入り難いもの~
そんな事は別にして、コミュニケーションやチョッとした
お礼になりますよ。
そんな訳で、真夏や南国の旅には必ず持参します。
特別な物じゃなくていいんです。
街中で配られている物や、100円ショップの物で十分です。
横文字より日本語(企業名でも可)がプリントされている物。
洋物キャラより、和風が良いでしょう。
団扇はかさばらないし、良い日本からのお土産になりますよ。
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ホテルや一部レストランを除き、多くのトイレには便座がありません。
- える さん
- 男性 / キューバのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2009/03(約17年前)
場所によってはドアの鍵もかからない場所があります。
さらには、用を足しても水で流せないところがほとんどです。
ですから、長時間外出する場合は外出する前にトイレへ行くのはもちろんですが、トイレに行く必要がないように水やお酒を飲む量を控えることをお勧めします。 -
(07/12/13加筆修正)
- チヘ さん
- 非公開 / キューバのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2007/12(約18年前)
日本のキューバ大使館に、郵送でツーリストカードを申請するときは、
所定の金額(2,100円)の他に、手数料2,800円がかかります。
プラス送料というわけで、
旅行会社に依頼しても、自分でやってもあまり料金的に変わりません。
忙しい中自分で手続きしてもあまりお得感が無い気がします。
詳細は次のとおり。
1. ファックスで申請用紙を依頼する(ウェブサイト上でダウンロードできなかったりする)
2. 申請書に写真(4×4cm)を貼付し、英語またはスペイン語で記入する
以下のものを添付し、キューバ大使館領事部に送付する。
パスポートコピー(写真のページ)
銀行振込利用明細書(ツースリストカード代2,100円×人数分+郵送申請手数料2,800円)
返信用封筒(80円切手貼付 書留希望の場合はその分の切手)
歩き方には、パスポート原本やら、現金書留云々やらと書いてありますが、
実際はこちらでOKの様子。
実際の申請のときは年のため大使館に確認を。
大使館の担当の方は日本人でした。
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キューバ革命の英雄チェ・ゲバラゆかりの地(2006年5月9日)
- さすらいおじさん さん
- 男性 / キューバのクチコミ : 8件
- 旅行時期 : 2006/05(約20年前)
チェ・ゲバラ(1928−1967年)は、アルゼンチン生まれのマルクス主義革命家で、キューバのゲリラ指導者。
1928年アルゼンチンのロサリオで誕生したが肺炎を患い2歳から重度の喘息に悩んだ。
ブエノスアイレス大学の医学生だった1951年にオートバイで南アメリカをまわる放浪旅行を経験し、南米各地の状況を見聞するうちにマルクス主義革命を志すようになった。
1953年大学卒業後、ボリビア、ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルを旅行し、社会主義政権下のグアテマラを経てメキシコで亡命中のフィデル・カストロと出会った。
キューバ革命軍に軍医として参加した後、めきめきと頭角し反乱軍のリーダーのひとりとなった。
1958年にはキューバ第2の都市サンタ・クララを制圧しキューバ革命成功に貢献、、キューバ新政府内で閣僚となり、農業改革機構工業部長、国立銀行総裁などにも就任し農地改革と企業の国有化を進めた。
アメリカのキューバに対する経済封鎖時の1961年にはゲバラは工業相として労働生産性の向上を訴えるが経済は好転せずキューバ首脳陣の中で孤立。
1965年、キューバの最も主要な貿易相手国だったソビエト連邦の外交姿勢を「帝国主義的搾取の共犯者」と非難しソ連の反発を受けキューバ政府の一線から退いた。
キューバを離れたゲバラは、アフリカのコンゴで革命の指導をするが成功せず、1966年ボリビアでゲリラ活動中の1967年10月捕えられ処刑された。
世界的に学生運動が展開された1960年台後半から、チェ・ゲバラの生涯と思想は全世界の革命を目指す若者たちに熱狂的にもてはやされ、肖像写真はTシャツやポスターに印刷された。
1997年にゲバラの遺骨がボリビアで発見され、キューバへ送られ現在はサンタ・クララの霊廟に葬られている。
今日でもチェ・ゲバラは中南米や第三世界の一部の人たちの間で信仰に近いカリスマ的存在になっている。
キューバではハバナの革命博物館で詳しくチェ・ゲバラを紹介している。サンタ・クララではチェ・ゲバラの遺骨を葬る霊廟や博物館、チェ・ゲバラとカストロが爆破した敵の列車など革命の戦歴を示す展示を見ることができる。
キューバ政府はチェ・ゲバラを称えることでカストロとの協同革命が成功したことを世界にアピ−ルする目的もあるのだろうが、チェ・ゲバラはレーニンを神のように祀っていた旧ソ連を髣髴するような、数少ない社会主義独裁国・キューバの一面を見せてくれる国だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066900/
(写真はサンタ・クララにあるチェ・ゲバラの遺骨を葬る霊廟)
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キューバ共和国の歴史(2006年5月8日)
- さすらいおじさん さん
- 男性 / キューバのクチコミ : 8件
- 旅行時期 : 2006/05(約20年前)
キューバ共和国はカリブ海の島国でアメリカ州最初の社会主義共和国で「カリブに浮かぶ赤い島」と呼ばれる。首都はハバナ。
キューバは1492年、クリストファー・コロンブスの第一次航海で「発見」された島でタイノ族と呼ばれる先住民がいたが、1511年スペイン遠征隊によって征服され、植民地化による強制労働でほぼ絶滅した。キューバの植民地化は砂糖産業、たばこ産業などを定着させ、スペインと中南米の中継地点として発展させた。
スペインに対する独立闘争は1868年ころから顕在化し、1898年にはアメリカが介入しスペイン・アメリカ戦争に発展、キューバは1902年にスペイン支配から解放され独立したが実質はアメリカ支配に変わっただけだった。
「独立」後、キューバにはアメリカ資本企業が数多く進出し、精糖産業など多くの産業をアメリカ企業が支配したことに対し反乱が続発、1953年に、アメリカ支配に抵抗して弁護士フィデル・カストロが蜂起、1953年の蜂起は失敗に終わって投獄されたがカストロはメキシコ亡命後、アルゼンチン人医師のチェ・ゲバラと出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後、1956年にヨット「グランマ」号にのってキューバに上陸。1959年に革命政権を樹立、土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進した。キューバの上流階級の人々の多くはアメリカなどへ亡命した。
アメリカに敵視された革命政権は1960年にソ連と外交関係を結びアメリカ資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行など大企業を国有化した。
1962年、アメリカのケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を実施するとソ連はキューバにミサイル基地の建設とミサイルの搬入を行い核戦争の危機となった。キューバ危機は何とか脱しその後50年近くキューバの社会主義独裁政策が継続している。貧困に苦しむ人たちを見ると、社会主義独裁政策がキューバ国民を豊かにしたとは思えないが、フィデル・カストロ存命中はアメリカとキューバの国交断絶状態は変わらないと見られている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066890/
(写真はハバナ大学の光景)
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カンクン経由でキューバに行かれる方は、ツーリストカードはカンクンで買われたほうがいいと思います。
- じゃりんこ さん
- 女性 / キューバのクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2007/08(約18年前)
私は日本のキューバ大使館領事部で取得していきましたが、カンクンの空港でのチェックインのときに「これは使えない」と言われました。ボーディングポイントにJAPON と印字されていて、これではダメだ、カンクンと書かなければならない、と言われ、チェックインカウンターの向かいでビザを買いなおすように言われました。そこの係の男性が「裏に大使館のスタンプも押してあるし、なんとかならないのか」とチェックインカウンターの男性とかけあってくれましたが、ダメの一点張りで、ビザを買いなおしました。17ドルでした。
帰国後、キューバ大使館領事部に抗議したら、「今までそれでダメだったことはない。それはカンクンの係員のミスだ」と言われました。たぶん、それが本当なのだと思いますが、旅の途中では、発券してもらえないとどうしようもないので言われるままビザを買うしかありません(その時点で、どちらが正しいのか私には判断できなかったので)。
大使館領事部でツーリストカードを発行してもらうためには、写真を用意して、申請に行き(郵送でも可)、さらに1週間後に受け取りに行く、という面倒な手続きが必要です(手数料は2100円)が、カンクンならその場で買うだけでとても簡単です。わざわざ日本で用意することはないと思いました。 -
キューバ・ハバナの旧市街のオビスポ通りでは観光客狙いの男に注意(2006年5月9日)
- さすらいおじさん さん
- 男性 / キューバのクチコミ : 8件
- 旅行時期 : 2006/05(約20年前)
キューバ・ハバナの旧市街のオビスポ通りは人通りが多いにぎやかなショッピング街なのだが、ガイドが用事でいないときに一人でガイドブックを見ながら歩いていると、不審な男が「店を紹介する」と、声をかけてきた。断ると、腕を強くつかんで、しつこくついて来た。大声を出して手を振りほどくとようやくあきらめて去って行ったが、警備員もいるメイン通りでも観光客狙いのグループがいるので要注意。ガイドなど、ハバナに詳しい人と一緒に歩いたほうが良い。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066890/
(写真はハバナの市街の光景)
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キューバのコンパチブル・ペソが余れば、米ドルに両替できる(2006年5月10日)
- さすらいおじさん さん
- 男性 / キューバのクチコミ : 8件
- 旅行時期 : 2006/05(約20年前)
キューバのコンパチブル・ペソに両替するときは、米ドルは不利なので日本円で両替したが,余ったコンパチブル・ペソはハバナ空港で待合コーナーにいる空港スタッフが1コンパチブル・ペソを1.04米ドルに両替してくれた。キューバのコンパチブル・ペソは米ドル以外から交換して残れば米ドルに交換するのが有利だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066890/
(写真はハバナの光景)
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キューバのコンパチブル・ペソに両替するときは、米ドルは不利(2006年5月8日)
- さすらいおじさん さん
- 男性 / キューバのクチコミ : 8件
- 旅行時期 : 2006/05(約20年前)
キュ−バは観光収入を拡大する目的で米ドルの流通を禁じ、観光客は米ドルに変わるコンパチブル・ペソと呼ばれる兌換紙幣を使うことを強制されている。米ドルは一律10%カットされるうえに、コンパチブル・ペソ1に対して米ドル0.8と変換率が非常に悪くなっていた。米ドル1ドルを150円で買う計算になる。日本円だと10%カットが無いので米ドル1ドル125円程度となり、日本円をコンパチブル・ペソに換えるほうが有利だった。ユーロや英国のポンドはさらに有利だった。キューバにはユーロや英国のポンド、日本円など、米ドル以外の金を持って行くほうが良い。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066890/
(写真はハバナ大学の光景)
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キューバ入国のツーリストカードは出国空港で取得できる(2006年5月8日)
- さすらいおじさん さん
- 男性 / キューバのクチコミ : 8件
- 旅行時期 : 2006/05(約20年前)
キューバに入国するためには、ツーリストカードが必要。日本で取得する場合にはキューバ大使館にパスポート、写真1枚とともに申請書を送付し、手数料を含め4900円を振り込むことが必要と言われた(2006年2月)が、ジャマイカ、キングストン空港のコパ航空カウンターでチェックインの際、20米ドル・2400円で簡単に取得できた。日本からキューバに直行しないのなら、キューバ行きの便を持つ航空会社で取得するのが手間もかからず、安価だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066890/
(写真はハバナの市街の光景)