ドレスデン:コーゼルの名前だけが残った宮殿は幽囚された母も、宮殿を建てた息子のコーゼル伯爵も住んでいない。
- 4.0
- 旅行時期:2011/05(約13年前)
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by jijidarumaさん(男性)
ドレスデン クチコミ:13件
かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡った旅
2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
<Coselpalaisコーゼル・パレス(宮殿)>
Grand Cafe & Restaurant
D-01067 Dresden 、An der Frauenkirche 12
営業時間は毎日 11:00~ 23:00時
ロゴによると1765年以来とある。
コーゼル・パレス(宮殿)と言うと、人は息子のコーゼル伯爵ではなく、あの有名なアウグスト強王の愛妾コーゼル伯爵夫人を思い浮かべる。
が、彼女にとっては無関係の場所だ。コーゼル伯爵夫人が住んだのはかつてのタッシェンベルク宮殿(現ケンピンスキーホテル)であり、ドレスデンの東にある夏の離宮のピルニッツ宮殿でした。
息子のコーゼル伯爵はシュトルペン城で母の墓石を立てる事は許されなかったが、Coselpalaisコーゼル・パレスと呼ばれた宮殿の建築主にはなれた。
唯、彼も実質的にコーゼル・パレス(宮殿)に住んだことが無かったと云うから、この宮殿はコーゼル伯爵夫人であれ、息子のコーゼル伯爵であれ、その名前だけが残り、実質が伴わなかったようだ。
1763年、コーゼル伯爵 はドレスデン市の旧市街で廃墟となっていた場所を取得し、そこにコーゼル・パレス(宮殿)を建てた。
ドレスデンの中心・ノイマルクトにコーゼル・パレス(宮殿)はある。写真は見た目にはかつてのタッシェンベルク宮殿(現ケンピンスキーホテル)に似ている。
旧市街の中心にある王宮にも近く、Frauenkircheフラウエン教会(聖母教会)の傍に建てられた。
コーゼル・パレス(宮殿)はかつて、ドレスデンの宮殿の中でも有数のものであったが、7年戦争(1754年から1763年、プロイセン・イギリスと、ザクセン・オーストリア・フランスなどのヨーロッパ諸国との間で行われた戦争)でプロイセンの軍隊に砲撃され、ドレスデン市内の建物と共に罹災している。
再建されたが、第二次大戦末期、1945年2月の連合軍の爆撃で旧市街は壊滅し、コーゼル・パレス(宮殿)も灰燼に帰した。
第二次大戦後、町の復興と共に、この後期バロック様式の宮殿も再建の運びとなり、1977年、宮殿両翼など徐々に再建され、2000年には昔の姿のままのコーゼル・パレス(宮殿)が完成した。
5階建ての本館、その両翼にゲートハウスを持ち、ファザードには装飾が施され、かつての特徴ある姿を見せている。本館内にはロビー、階段、催し用の大広間が、昔と同じように再建され、一方では現代的な事務所用の各室も備えられている。
地上階には素晴しいレストラン、中庭にはカフェも用意され、宮殿は生まれ変わった。
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- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2020/05/29
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