シュザンヌ ヴァラドン広場 Place Suzanne Valadon
広場・公園
3.25
施設情報
クチコミ(8件)
1~8件(全8件中)
-
サクレクール前の広場
- 3.5
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
-
ふもとのケーブル乗り場前広場
- 3.5
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
- 0
広場の名前はモンマルトルにゆかりのあるユトリロの母の名前がついています
サクレクール寺院へ行くときにケーブルの麓駅の前に... 続きを読むある小さな広場です
回転木馬のある奥のが「シュザンヌ ヴァラドン広場 」
モンマルトルにゆかりの画家はたくさんいるが なぜ シュザンヌ ヴァラドンの名になったのか解らないが モンマルトルの地に長く暮らしていたのがシュザンヌ ヴァラドンだったからだろうか・・・・
彼女が暮らしたモンマルトルの地は、現在「モンマルトル美術館」になっている
見に行くための広場でなく 有名なサクレクール寺院へ行くときに通る広場です
でも この地に彼女の名が残っているのはどこか嬉しい気持ちになりました 閉じる投稿日:2017/09/26
-
寺院に向かって左側・・・
- 4.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
- 0
-
-
フニキュレール山麓駅の前
- 3.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
- 0
-
サクレ・クールのふもとあたり
- 3.5
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
- 0
-
サクレクール寺院に行く階段がある広場です
- 2.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 0
-
シュザンヌ・ヴァラドン広場 多くのアーチストと浮名を流したヴァラドン
- 4.0
- 旅行時期:2014/01(約12年前)
- 7
モンマルトルのミューズとして君臨したシュザンヌ・ヴァラドンの名を冠する広場です。
今は、パフォーマーが芸を披露するの... 続きを読むどかな広場。
・・・・たまにミサンガ売りのうるさい人が付きまといますが(笑)
ヴァラドンはロートレックとは恋愛関係にありましたが、破局。彼女がモデルとなった作品も多く残されています。
またヴァラドンはルノアールの「都会のダンス」(オルセー美術館蔵)のモデルにもなりました。
ルノアールは、結局「田舎のダンス」のモデルになったアリーヌ・シャリゴと結婚しましたが、その後のことを考えると正解だったのでは?
エドガー・ドガは恋愛関係にはなかったものの、お気に入りのモデルとして何枚かの作品を残しています。その後、ヴァラドンの画家としての成功を助けました。
300通のラブレターにほだされて付き合い出した音楽家サティーとは半年で別れ、サティーはそのショックからか「ヴェクサシオン(嫌がらせ)」というとてつもなく長い楽曲・・・・演奏者にとっては本当に嫌がらせ?・・・を作ります。
ヴァラドンと言って忘れてはいけないのが、息子のモーリス・ユトリロ
ただ、あまり愛情を注ぐことはなかったようで、ユトリロはわずか10歳でアルコール中毒になり、生涯病院と自宅を行き来していました。
そんなヴァラドンも年貢を納めて資産家のポール・ムージスと結婚します。
しかしヴァラドンの恋愛遍歴は果てしなく、後年は息子ユトリロの親友で、ユトリロよりも3歳年下の愛人を持ちます。で・・・夫とは離婚。
こんなふうにヴァラドンの自由奔放さは生涯続きました。
閉じる投稿日:2014/05/18
-
-
シャヴァンヌやルノワールのモデルをつとめたユトリロの母(自らも画家)の名を冠した広場 ナチ占領下のパリ・モンマルトルの記憶も
- 4.0
- 旅行時期:2008/12(約17年前)
- 3
画家シャヴァンヌ、ルノワール、ロートレックらのモデルをつとめ、作曲家エリック・サティとの恋あり、そしてユトリロの母(自らも... 続きを読む画家)であるシュザンヌ・ヴァラドン(マリー=クレマンチーヌ・ヴァラドン)の名を冠した広場。
サクレ・クール寺院の建つモンマルトルの丘のふもと、モンマルトルのケーブルカー(フニクレール)乗り場の脇の小さな広場です。
モンマルトルにゆかりの深いヴァラドンやユトリロの名前を冠する場所がモンマルトルにあるのは納得ですね。 ※ユトリロ通り( Rue Maurice-Utrillo : http://bit.ly/12bUFrw )はサクレ・クール寺院を背にして左に下る階段にあります。 ヴァラドン広場から見上げるフォワイヤティエ通り Rue Foyatier (の階段)もモンマルトルらしいですが、ユトリロ通り Rue Maurice-Utrillo (の階段)もモンマルトルらしい風情があります。
「Place Suzanne-Valadon(シュザンヌ・ヴァラドン広場)」の表示板の脇には、ナチ占領下のパリ・モンマルトルの苦い記憶を残す碑もありました。
最近(2010年)の映画で、ジャン・レノが出ていたフランス映画『黄色い星の子供たち』(原題: La Rafle. 英: The Round Up)というのがありましたが、あの映画の中でもナチ占領下のパリやモンマルトルが描かれ、記憶に新しいところです。
※ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(Rafle du Velodrome d'Hiver、1942年7月16日~17日)、略称ヴェル・ディヴ事件(Rafle du Vel' d'Hiv)(wikipedia) → http://bit.ly/Pbj4dT ※Place des Martyrs Juifs du Velodrome d'Hiver, 75015 Paris → http://bit.ly/1ijjgQA 閉じる投稿日:2014/03/04
1件目~8件目を表示(全8件中)
このスポットに関するQ&A(0件)
シュザンヌ ヴァラドン広場について質問してみよう!
パリに行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
ころんさん
-
QUOQさん
-
pockyさん
-
チュンチュ319さん
-
AAAIKOさん
-
konomiさん
- …他