エーレンブルク城 Schloss Ehrenburg
城・宮殿
3.25
施設情報
クチコミ(2件)
1~2件(全2件中)
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古城街道の素敵なお城
- 4.0
- 旅行時期:2005/03(約21年前)
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コーブルクにあるエーレンブルク城。
コーブルクは日本ではほとんど知られていませんが、イギリスのヴィクトリア女王がこの街で... 続きを読むおとぎ話のような結婚をしたというのは有名なお話。
そのコーブルクにあるエーレンブルク城(Schloss Ehrenburg)は1547年に建設され、代々のコーブルク公爵の居城として使用されてきたお城。
1690年にはバロック様式に改築、19世紀にはエルンスト1世によりネオゴシック様式のファサードが作られ、現在の姿となりました。
中はガイドツアーのみの見学で、私が行った時は見学者は私1人だったのでガイドさんと2人で観光しました。
ただガイドさんは英語が喋れなかったので英語の説明書を見ながら観光しました。
中は柱が巨人の彫刻になっていて天井を支えている「巨人の間」や礼拝堂が綺麗でした。
展示されているピアノを触ってもいいということでちょっとだけ弾かせてもらいました。
またヨーロッパで最初に水洗トイレがついた寝室もこのお城だとか。
閉じる投稿日:2013/03/15
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コーブルク公爵のエーレンブルク宮殿には美しい見栄えだけでない、思いがけない歴史の背景がある。
- 4.5
- 旅行時期:2001/05(約25年前)
- 6
バイロイトの次に訪れたのは、距離120kmのCoburgコーブルクの町である。
ここコーブルク公爵領はバイエルン州の... 続きを読む北部・フランケン地方である。
北はテューリンゲンの森、東をフランケンの森、南にマイン・フランケン平野に囲まれた地域で、ドイツの中央部にあたります。
コーブルクはマインの支流Itzイッツ川(全長80km、Rattelsdorfラッテルスドルフを過ぎたところでMainマイン川に合流する)に沿って発展している。
*英国王室(ハノファー王朝)、つまり Victoriaヴィクトリア女王の王配(おうはい:女王の夫のこと)Albrecht von Sachsen-Coburg-Gothaアルブレヒト・フォン・ザクセン・コーブルク・ゴータ(英語読みはアルバート、1840年-1861年)はCoburgコーブルクの出身であった。
コーブルクの町はHerzog von Sachsen-Coburg und Gothaザクセン・コーブルク・ゴータ公家の宮廷があり、英王室との深い結びつきがあった町である。
この事があった所為か?!第二次大戦下、英空軍はこの町を空襲しなかったと云う。
また、コーブルクの町は連合軍の米軍により占領されたこともあって、大戦後東西ドイツに分離された際、幸いにも西ドイツ領になっている。つまり東西ドイツ国境線はコーブルクに沿って引かれ、コーブルクは国境沿いの町となった。
(これも英国王室との関係の深さを物語るのかもしれない)
14:35にコーブルク大要塞の駐車場を出て、コーブルク市内に戻る。
要塞地区とは少々違って、優雅なSchloss Ehrenburgエーレンブルク宮殿前に来た。
エーレンブルク宮殿は1547~1918年の間、コーブルグ公爵の居城であったので内部は見る価値があるそうだ。
コーブルク:観光冊子の説明・・・エーレンブルク宮殿にはVorsaal控えの間、Familliensaalファミリールーム、Riesensaal巨大な間(バロック様式の宴会場)、Grosse Bildergalerie大ギャラリー、Rotes Empfangszimmer赤の応接室、Cobelinzimmerコブラン降りの部屋、Audienzzimmer接見室、Arbeistzzimmer書斎、Schlafzimmer寝室(ヴィクトリア女王の住居)、Thronsaal王座の間、プロテスタント教会などがあるらしい。
だが、時間の割り振りで、結局好みの人形博物館を選び、宮殿、公園、州立劇場(旧宮廷劇場・1840年)などを外から見て回っただけになった。
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尚、*ヴィクトリア女王と、王配(おうはい:女王の夫のこと)Albrecht von Sachsen-Coburg-Gothaアルブレヒト・フォン・ザクセン・コーブルク・ゴータ(英語読みはアルバート)の結婚式については、以下の事が参考になる。
【ヴィクトリアは1836年にアルバートと会ったことがあり、その時の日記の中でアルバートを「髪は私と同じ褐色、目は綺麗な碧眼、美しい鼻と口。顔の表情は魅力的だ。同時に善良さと甘美さと知的さを持っている」と絶賛していた。
もっとも1839年4月にヴィクトリアはメルバーン子爵に対して「私は当面いかなる結婚もしたくない」と語っている。アルバートのことは嫌いではなかったが、周囲が勝手にアルバートとのお見合いを進めているのが気に入らなかったという。
だが結局周囲に流される形で同年10月10日にウィンザーを訪れたアルバートを引見することになった。この頃アルバートは身長こそ167センチと低めだが、顔は一層美男になっており、また高い教養をもっていた。ヴィクトリアはすっかり彼に一目ぼれした。引見の翌日に彼女はメルバーン子爵に対して「結婚に対する意見を変えた」と述べ、さらに翌々日には「アルバートと結婚する意志を固めた」と述べた。
後日再びアルバートを召し、君主である彼女の方からプロポーズを行なった。「貴方が私の(結婚の)望みを叶えてくれたらどんなに幸せでしょう」と言ってプロポーズしたという。
ヴィクトリアとアルバートは1840年2月10日にセント・ジェームズ宮殿で結婚式を挙行した。その翌日のレオポルド1世への手紙でヴィクトリアは「世界で私ほど幸せな人間はいないと思います。彼は天使のようです。昨日の披露宴は楽しくて熱気にあふれていました。ロンドン市内では群衆が果てしなく沿道に続いていました」と書いている。】
(Wiki参考)
・・・・・ 閉じる投稿日:2024/03/24
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