テオドシウス1世のオベリスク Obelisk of Theodosius
モニュメント・記念碑
3.46
クチコミ 2ページ目(48件)
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ただの記念碑
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- 旅行時期:2015/12(約10年前)
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エジプトから運ばれてきたオベリスク
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- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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復元か?と思うほど素晴らしい保存状態
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- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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エログリフが刻まれて
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- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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ヒッポドローム(アトゥ・メイダヌ)に建っている柱のひとつです!
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- 旅行時期:2015/07(約11年前)
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継母にいじめ抜かれたトトメス三世の記念碑
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- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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イスタンブールのスルタンアフメト広場。
そこには1本の背の高い塔が立っている。
エジプトへ訪問の経験のある旅人なら... 続きを読むば、その塔に描かれている文字はヒエログリフと云われる象形文字で、この塔の出身地がトルコからは遠いエジプトであることに気が付くだろう。
この塔はルクソールで即位したファラオであるトトメス三世のオベリスクで、オスマン朝のテオドシウス1世の時代にイスタンブールの地へと運ばれてきた。
トトメス三世は近隣諸国との貿易路の開拓で成功し、貿易により国力を強めたファラオであるのだが、その名は、継母に苛め抜かれたファラオとしての方が有名だ。
トトメス三世がルクソールに建てたオベリスク。
オスマン朝の人達は、そこにはなんて書いてあるのか…なんて気にせずに、カッコいいから持ってきちゃった!位のノリで運んできたのだと思う。
勝手な想像だが、トトメス三世の粘着質な性格から考えると(継母の死後、彼女の顔が描かれたレリーフの顔の部分を全て破壊した)、オベリスクに書かれている文字が継母に対する呪詛の可能性もあると思う。
オスマン朝の時の権力者たちが、そこまで気にしてオベリスクを運んできたのかは今となっては分からないが、このヒエログリフに書かれている言葉が何であるのか、非常に興味深い。
閉じる投稿日:2015/07/05
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テオドシウス1世のオベリスク
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- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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テオドシウス1世のオベリスク
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- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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カルナック神殿に対の1本がある
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- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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ブルーモスク前の広場にあります
- 3.5
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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略奪の歴史の遺物。思い出すのは…
- 3.5
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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エジプトのカルナック神殿から
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- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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ブルーモスクの前の広場にあります。
- 4.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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高いのですぐわかります。
- 3.0
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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ヒッポドロームにあります
- 3.0
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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エジプトからやってきたオベリスク
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- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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ヒッポロドームには3本の柱(オベリスク)が立っていますが、
そのうち象形文字が書いてあるものが、この「テオドシウスのオベ... 続きを読むリスク」です。
390年にテオドシウス帝がエジプトのカルナック神殿から取り寄せて、設置したそうです。
それだけでも「古っ!」と驚くシロモノなのに
元々は紀元前1490年、トトメス3世の時代にルクソールのカルナック神殿に建てられたものだというのだからさらに驚きです。
3分割して運んだ1番上の部分だけが残っているそうなので、
元はこの3倍くらい高さがあったのでしょうか。
3500年前のものには思えないきれいさです…。
レプリカかと思いましたが、ネットで検索した限りこれが実物のようです。
台座だけはテオドシウス帝が作らせたもののようです。 閉じる投稿日:2015/12/20
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ヒッポドローム広場の一角にあるのが「テオドシウス1世のオベリスク」~イスタンブール~
- 4.0
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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一番手前のオベリスク
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- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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柱のヒエログリフは読めないけれど
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- 旅行時期:2013/01(約13年前)
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パリと同じ!?
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- 旅行時期:2011/10(約14年前)
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