墓では無く遺髪を納めた場所です。
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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by まつじゅんさん(男性)
豊岡 クチコミ:8件
大石一家は50日あまりの仮住まいの後に、京都山科へ移り討ち入りの準備を整えていきますが、1702年の4月頃、理玖は身重の身体で長女 くうと共に豊岡に帰り、内蔵助は討ち入りの罪が妻子に及ばぬよう、10月初旬に離縁という形をとりました。
吉良邸への討ち入りは成功し、夫と長男 主税が切腹した後、理玖は香林院と名乗り正福寺で冥福を祈る生活を続けました。
正福寺にあるのは「理玖の遺髪」を納めた「遺髪塚」です。
赤穂浪士の行為は人々に感銘を与え、息子 大三郎に赤穂浅野家の本家である広島浅野家から仕官の話が舞い込みました。
大三郎は父と同じ1,500石という破格の条件で召抱えられ、母 理玖と共に広島へ移り、理玖は1736年に広島で68歳の生涯を閉じます。
墓は広島市の国泰寺の大石家墓地にあり、大三郎と理玖の母子が並んでいます。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2023/03/20
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