養生シートと梯子が見られました。
- 2.0
- 旅行時期:2022/11(約2年前)
-
by 旅好者さん(男性)
益田 クチコミ:17件
萬福寺の東方向、直線で500mくらいのところに、益田で雪舟の作と伝わる2つの庭園のうちの1つがある医光寺がありました。医光寺は、1363年(貞治2年)に創建された大伽藍の崇観寺の塔頭でしたが、後に、崇観寺は衰退し、その後を継ぐ形で現在まで続いています。
まずは道路近くに建つ大きな山門が目を惹きました。見上げるほどの風格のある門ですが、七尾城の大手門だったものだそうです。関ヶ原の戦い後、益田氏が須佐への転封時に下げ渡されたそうです。なお、屋根の形は後年、手が加わっているそうです。肝心の庭園ですが、15代城主の益田兼堯(かねたか)の招きにより、雪舟は1479年(文明11年)に益田にやって来ます。そして、益田滞在中に崇観寺の第5世の住職となり、塔頭に庭園を造ったとされています。現在のお庭は、1729年(享保14年)に医光寺を襲った大火後に再興されたものだそうですから、元の姿がどの程度残されているかとなりますね。それはともかくとして、本堂の裏手に廻ると、あちこちに養生シートが拡がり、梯子も放置されていました。せめて、受付で一言欲しかったなとブツブツです。ここは訪れたことに満足しておきましょう。続いて、本堂に廻り、ご本尊の薬師如来像をお参りしました。境内には雪舟灰塚がありました。東光寺でなくなった雪舟は、以前に住職を務めた崇観寺で荼毘に付されたと伝わっていて、その場所がこの灰塚だということです。なお、山号は瀧蔵山で、臨済宗東福寺派のお寺さんです。
- 施設の満足度
-
2.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
クチコミ投稿日:2022/12/26
いいね!:0票