ソロバンドックの名で知られている。
- 5.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
長崎市 クチコミ:57件
長崎市小菅町にある小菅修船場跡。幕末から明治にかけて薩摩藩士五代友厚・小松帯刀とトーマス・ブレイク・グラバーらの尽力で設けられた日本で最初の洋式近代的ドックである。曳揚機械やボイラー等スリップドック一切の施設はイギリスから取り寄せ、曳揚小屋外壁に用いられている〝蒟蒻煉瓦(こんにゃくれんが)〟はオランダ人から習得した製法によって長崎で作られたものである。
日本初の蒸気機関を動力とする曳き揚げ装置を設置したスリップドックであり、蒸気機関を据え付けた曳揚げ小屋内の巨大な歯車を蒸気で回して回転力を曳く力に換え、1,100tまでの船を陸上へあげることができるものであった。
当時日本では大型船の造船技術が進んでおらず、諸外国の中古船を主として利用していたがそれ故に呼称することも多く、大型船を修理できるスリップドックの建設は新政府にとっても最重要課題でもあった。明治元年に竣工し、翌年には明治政府が買収して国営化されている。明治5(1872)年には〝咸臨丸〟の修船を見る行幸もあり、その後明治20(1887)年に三菱に払い下げられ、大正9(1920)年に閉鎖されるまで1,000隻もの船舶がドック入りしたと記録されている。
戦時色が高まった昭和12(1937)年には操業を再開。海軍の軍艦も修理したとされているが明確な記録は残っていない。昭和20(1945)年8月9日の長崎への原爆投下には、場所柄大きな損害はなかったらしく、戦後には漁船の修理を中心に受注し、昭和28(1953)年まで稼働していた。
ソロバンドックと言われる〝根拠〟となった船舶を引き上げる滑り台は残念ながら現存しておらす、この目でその姿を確認することはできない。しかしその他の施設の内内部は非公開となっている曳揚小屋の他曳揚機械・軌道・石垣、そしてドックの両岸にあたる天草石の石垣の多くが当初のまま残っており、150年前の様子を現在に醸し出している場所でもある。
修船場その場所での様子も見ごたえがあるが、長崎港遊覧の際に船舶から眺める修船場の姿は、この場所の〝必要性〟を呈していることを感じられるもののように私自身は感じられた。修船場跡の広さ自体が決して広くはないために、見学にかかる時間もあまり考える必要もなかった。長崎の歴史的〝洋風建築物〟のひとつとして、ぜひとも訪れて貰いたい場所のひとつである。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 長崎市街地から車で10分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 修学旅行の立寄り監督の先生がいただけであった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場は決して良くはない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 船上から眺めた時とはまた違う印象を受けた。
クチコミ投稿日:2022/11/23
いいね!:6票
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