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旧長崎医科大学門柱 施設情報・クチコミに戻る

今も通用門として使われている。

  • 5.0
  • 旅行時期:2022/10(約2年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

長崎市 クチコミ:57件

現長崎大学医学部の通用門となっている二柱一対の石柱は、〝(左)長崎医科大学〟〝(右)長崎医科大学附属薬学専門部〟と刻まれたもので旧長崎医科大正門の石柱として建てられていた。昭和20(1945)年8月9日11時02分、長崎市浦上の上空約500mでプルトニウム型原子爆弾ファットマンが炸裂する。爆心地から約600m離れた医科大正門の石柱は1.2m四方、高さ1.8mで台座の上にまっすぐに立っていたが、右側の門柱は山のかげとなり影響はなかったものの、左側の門柱は9cmも前にずれ台座との間に最大16cmの隙間が出来た。戦後の調査で門柱の傾きから原子爆弾の〝爆風圧〟が測定されることとなり、門柱の場所つまり爆心地から約500mの地点で1平方センチメートル当たり1kgという強力な圧力がかかったことが証明された。
国指定史跡長崎原爆遺跡として残る石柱の側面には〝わが師わが友、850有余もが死に果てし、長崎医科大学の正門門柱にて、被爆当時のままの状態を生々しくここに見る〟と刻まれた石板がはめ込まれており、原爆の生き証人としてその姿を現在に伝えている。
医大病院で重傷を負い、被爆しつつも患者を診続けた長崎の父とも呼ばれる〝永井隆博士〟の記念館にもその出来ことが書かれており、ぜひとも訪れたいと思っていた場所であり、やっと今回訪問が叶った。通用門でもあるため昼間だと学生が通るために車を停めることは不可能に近い。大学が開いている時間であれば、現在の正門から入場し、警備員に〝門柱を見に行きたい〟と言えば車を構内に停めさせて貰える。
爆心地に近いということで他にも長崎大医学部敷地には被爆遺構が幾つも残っている。しかし聞きながら回れる場所ではないので、事前に調べていくことは必要不可欠だと思われる場所であった。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
山王神社二の鳥居から徒歩10分。
人混みの少なさ:
5.0
昼間はパラパラ、夜は皆無だった。
バリアフリー:
5.0
坂道ではあるが舗装はされている。
見ごたえ:
5.0
二の鳥居同様石がこうなるのか…と考えさせられる。

クチコミ投稿日:2022/11/03

いいね!:5

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