桜花の搭乗員宿舎があった場所である。
- 5.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
大隅半島(鹿屋・垂水・志布志・肝属) クチコミ:6件
海上自衛隊鹿屋航空基地近くに位置する野里国民学校跡地。ここに昭和20(1945)年初め海軍第721航空隊を基幹とした〝神雷特別攻撃隊〟の隊員が集まる宿舎として国民学校校舎があてがわれることとなる。
人間爆弾〝桜花〟の搭乗員として集まった多くの若者は、桜花、それを釣る一式陸上攻撃機、直掩機としての零式艦上戦闘機の搭乗員として先の大戦末期に南方戦線へと死出の旅に出て帰ることがなかった。所謂特攻隊員として・・・。
この場所で人生最後の朝を迎え、出発前に整列し水杯を交わした後、トラックで航空基地に移動してお国のため家族のために散華した若き隊員達が〝確かに居た〟と言う記録として、元桜花隊員の手によって昭和53(1978)年に〝神雷特別攻撃隊員 別盃之地 櫻花〟の碑が建立された。揮毫は海軍報道班員として神雷部隊と生活を共にしていた山岡荘八氏によるものである。
旧海軍所縁の場所として主碑の他副碑・由来文、そして国旗掲揚のためのポールが立てられている。〝桜花の碑〟の場所としては小さなスペースであり、所在を知らなければ通り過ぎてしまうような場所ではある。しかし往時の地図を見る限り国民学校敷地としてかなり大きな場所の一角であることは理解できる。戦時中には本業は飛行機でなく勉強だった学徒出身者が付近の子供達に勉強を教えたりと周辺住民達との関係は非常に良かったと言われている。その頃の名残からか、碑のまわりの手入れなどは住民の協力を得ていると書かれていた。
特攻作戦がどうなのかは議論するまでもないことだが、70数年前にこの場所で暮らし、南方へ片道切符で征った多くの若者が居た〝史実〟を改めて感じ取った私であった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大隅縦貫道笠野原ICより20分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際は誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 段差はあり、足元は未舗装であった。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 静けさが70年の月日を忘れさせる場所であった。
クチコミ投稿日:2021/11/19
いいね!:9票
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