武蔵VS吉岡一門
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- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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by bluejaysさん(男性)
下鴨・宝ヶ池・平安神宮 クチコミ:4件
吉岡清十郎とその弟伝七郎を続けて倒された吉岡道場は、17歳の吉岡亦七郎を当主に立て、一門の面目に賭けて武蔵に一乗寺下り松での決闘を挑んだ。
吉岡一門は小高い場所に陣取り、武蔵がどの方向から来ても対応できる体勢をとったが、武蔵はいつも通り遅刻するものと油断していた。だが武蔵は刻限より前に来て、裏の藪に隠れていた。彼は73人の吉岡一門を相手にせず、いきなり背後から現れ、最後方にいた当主の亦七郎を一刀のもとに切り捨てると、藪の中に逃げた。藪の中では敵は刀を振ることができないからである。地元に残る伝承では、武蔵は田圃の畦などに刀を何本も隠し、刀が切れなくなったときの用意をしていたという。武蔵は剣術に優れていただけでなく、人一倍狡猾で、なおかつ逃げ足も速かったのだ。
「一乗寺下り松」の名は、かつて一乗寺がこの上にあったことに由来している。街道の目印となる松があったが、当時の松は枯れ、現在のものは5代目になる。平敦盛の北の方が、一の谷の戦いで戦死した彼の遺児を松の下に捨てたところ、通りがかった法然が拾って立派な僧に育てたという逸話がある。
1336年には、足利尊氏に京都を制圧され近江に逃れた後醍醐天皇軍の楠木正成が、この地に布陣して尊氏を破り、京都を奪回している。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2021/09/19
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