稚内=大泊航路の歴史を今に伝えます
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- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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by ケロケロマニアさん(男性)
稚内 クチコミ:192件
大正末期から昭和の前期、南樺太が日本領であった時代に、稚内と大泊(現ロシア連邦・サハリン州コルサコフ市)間が航路で結ばれていた時代がありましたが、その二十余年の歴史を今に伝える記念碑がこちらです。
当時は丁度、この碑がある付近まで鉄路が敷かれていて、稚内港駅(現稚内駅)から稚内桟橋駅までが線路で繋がれて、航路利用客の便宜が図られていました。その時代の名残を今に伝えるC55の動輪も、この碑のすぐ傍に展示されていますので、併せてご確認してみて下さい。
戦後も一昔前までは、この碑のすぐ傍に主として利礼航路用に使用されていたフェリーターミナルがありましたが、平成20年に新しいフェリーターミナルに移動してからは、また違った風情が漂うようになりました。
そういえば冷戦も終結した平成時代には、この稚泊航路を彷彿とさせてくれる日露国際航路が運航された時期もありましたが、なかなか採算的に厳しかったこともあり、短命に終わってしまいました。コロナ禍を経た今においては、復活の道は尚険しいと言わざるを得ませんが、またいつか復活してくれることを願っています。
因みに、稚泊航路や類似の稚斗航路などに関して、或いは、昔の稚内港駅や稚内桟橋駅のこと等に関しては、稚内副港市場内の1Fの展示ブースや、2Fにある樺太記念館の解説が、とても詳細で勉強になりますので、併せてご訪問されることをお勧め致します。
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- 人混みの少なさ:
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クチコミ投稿日:2021/09/06
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