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羽黒山五重塔

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国宝「羽黒山の五重塔」に感動!

  • 4.0
  • 旅行時期:2020/10(約5年前)
マンボウのお城さん

by マンボウのお城さん(男性)

羽黒・余目 クチコミ:1件

出羽三山とは、羽黒山(標高414M)月山(標高1984M)湯殿山(標高1500M)で「出羽国」を東西に分ける山岳です。
太古の大昔は火山爆発を繰り返す「怒れる山」でしたが、それから更に時を刻んだ推古天皇元年(593年)、遠く奈良の都からはるばる第三十二代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が来られました。蜂子皇子はそこで難行苦行の御修行を積み、遂に羽黒の大神・イツハの里の国魂「伊氏波神」の出現を拝し、羽黒山頂に「出羽神社」を奉られました。
それは、今を去ること『1400年前の御事』でした。出羽三山神社では、この時を以て「御開山の年」とし、蜂子皇子を「御開祖」と定め、篤く敬仰しています。
以後、お山の内外を問わず、いつしか東北屈指の「霊山・霊場」として、四季を通じて参拝者が絶えることはありません。

そもそも、出羽三山は、祖霊の鎮まる「精霊のお山」、人々の生業を司る「山の神」「田の神」「海の神」の宿る『神々の峰』にして、五穀豊穣、大漁満足、人民息災、万民幸福を祈願する『聖地』でした。加えて「羽黒派古修験道」の「根本道場」として、「凝死体験・蘇り」をはたす山でもありました。
すなわち、羽黒山では現世利益を、月山で死後の体験をして、湯殿山で新しい生命をいただいて生まれ変わる、という類いまれな「三関三度の霊山」として栄えてきたのです。
まるで、キリストの聖地のようなパワースポットなのです。

さて、国宝「羽黒山の五重塔」に話を戻しますが、平安時代中期の承平年間(931年 - 938年)に「平将門」の創建と伝えられていますが、定かではないため、国宝登録上の建立年度は下記の通りとなっています。
『羽黒山旧記』によれば、五重塔は、応安2年(1369年)に立柱し、永和3年(1377年)に屋上の相輪を上げた(1372年に再建された)という説が有力です。

日本に現存する国宝の五重塔は、『11』ありますが、そのほとんどが奈良、京都にあります。
その内、2つは小塔(5.5mと4m)なので、16m以上の国宝の五重塔は、9つしかなく、国宝の五重塔を有する都道府県は、奈良・京都以外では、山形(1)、山口(1)、広島(1)の3県にしかありません!
世界最古の木造の五重塔は、7世紀末~8世紀初に建立された奈良の法隆寺五重塔(31.5m)で、世界遺産でもあります。
また、近世以前の日本一高い五重塔は、京都の東寺五重塔で、54.8mもありますが、比較的新しい江戸時代に建てられた唯一の国宝です。
他に江戸時代(一部室町時代)に建てられた五重塔は『14』ありますが、京都の東寺五重塔以外は、重要文化財ではありますが、国宝ではありません。
世界遺産「日光東照宮」の五重塔も江戸時代建立なので、重要文化財です。

ということで、少なくとも東北に存在する五重塔は、ここ「羽黒山の五重塔(29.4m)」だけで、南北朝時代(1372年)に再建された(承平年間(931年 - 938年)に建立されたかもしれない)超貴重な五重塔なのです。
もし、承平年間(931年 - 938年)に建立されたことが証明されれば、奈良時代に建立された法隆寺の次に古い国宝の五重塔になります。
現在、2番目に古い醍醐寺の五重塔(京都)は、平安時代(951年)の建立で、京都でも最も古い木造建築だからです。
山形県の「国宝、羽黒山の五重塔」、上記の説明通り、パワースポットとしても、国宝としても凄すぎます!

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
2.0
アップダウンの激しい道のりが必須となります。
人混みの少なさ:
4.0
さすがに東北唯一の国宝の五重塔なので、コロナ禍でもそこそこの観光客で賑わっていました。
見ごたえ:
4.5
16m 以上の国宝の五重塔は、奈良・京都以外には3県しかないだけに素晴らしい建造物でした。

クチコミ投稿日:2021/06/13

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