1つ残る礎石が唯一の痕跡
- 3.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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by 旅好者さん(男性)
下関 クチコミ:107件
長府宮の内町の一画に長門国分寺跡がありました。大きな石が1つありますが、礎石だったものだそうです。741年(天平13年)に、聖武天皇は諸国に国分寺と国分尼寺を建立しましたが、それは国府が置かれていたところです。その意味でも、長府は古い時代から開けていたのですね。(国分尼寺は建立されなかったといわれている様です)他のところの国分寺跡と異なる点は、大内氏、毛利氏、長府毛利氏と庇護を受けて江戸時代まで残っていたことです。明治維新後に衰退したとのことです。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2020/11/22
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