諏訪大社の「裏歴史」を語る証人か
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- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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by 経堂薫さん(男性)
茅野 クチコミ:1件
中世から江戸時代まで諏訪明神の神長官を務めた守矢家に伝わる鎌倉時代以来の「守矢文書」を保管、公開している施設。
しかも建築家の藤森照信先生が初めて設計したという建築物だ。
見かけこそ土壁と板壁だが、その内側は鉄筋コンクリート製の堅牢な建物。
土壁は〝毛深い〟仕上げを求めた結果、藁を色付きモルタルに混ぜて塗り、表面を荒らした後に上から土をスプレーで吹き付けた由。
板壁はサワラの丸太に鉄と木の楔を木槌で打ち込み、割って板にしたもの。
屋根の斜め部分を葺いているのは「鉄平石」という上諏訪特産の平らな安山岩。
屋根の天頂部分は宮城県雄勝産の、軒はフランス産の、それぞれ天然スレートを使用している。
正面から建物の全景を眺めると、屋根から突き出ている4本の柱は地元産の木材。
諏訪地方では「ミネゾウ」、一般には「イチイ」と呼ばれている。
軒が寂しいから四本柱を建てようとしたら、設計図に鉛筆が走って突き抜けていた…とは藤森先生の弁。
これらが御柱をイメージしているのは言うまでもない。
中に入ると内壁もまた土で塗られ、落ち着いたトーンで統一。
それとは裏腹に、壁には鹿の生首や串刺しにされた兎の剥製など、なかなか物騒な品々が並べられている。
これらは毎年4月15日に諏訪大社上社で行われる例大祭「御頭祭」の復元展示。
「御頭祭」は原始時代以来の狩猟や農耕など様々な信仰が入り混じった複雑至極な祭祀。
神長守矢家が司る諏訪大社上社の祭祀の中で最も大掛かり且つ神秘的な祭礼だ。
肉食の免罪符に相当する諏訪大社の御札は「鹿食免(かじきめん)」、箸は「鹿食箸」と呼ばれていた。
太古の昔、諏訪神社では狩猟が大切な祭事とされ、贄に鹿や猪が供されていた。
その後、仏教の浸透等により殺生や肉食がタブー視されるようになると狩猟神事も漸減。
しかし建暦2(1212)年、鎌倉幕府が諸国の守護大名に鷹狩の禁止を命じる中、諏訪神社の御贄鷹のみ除外するという異例の措置でこれを保護。
寿命の尽きた生物は放っておいても死ぬのだから、むしろ人間に食べてもらい、その縁で極楽往生させてもらうのが一番よい。
このような仏教の影響を受けた慈悲と殺生を両立させる独特な考え方が背景にあった。
そこから諏訪明神に御祈祷をし、これを食べても良いというお札を頂いてくれば許されるという信仰が生まれる。
これが「鹿食免」「鹿食箸」が生まれた由来と伝わっている。
鹿の生首を並べた狩猟祭…神長官守矢家が司る祭礼からは縄文時代の息吹が感じられる。
現代では生首こそ用いられることはなくなり、代わりに鹿頭の剥製2つをお供えしている。
諏訪大社は農耕以前の狩猟時代、縄文時代の原始的祭祀が色濃く残る神社だと思わされる。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 自動車なら楽チンかも
- 展示内容:
- 4.0
- 見る人によります
クチコミ投稿日:2020/07/27
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