薩英戦争の数時間だけ使われた砲台跡
- 4.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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by かるあみるくさん(男性)
鹿児島市 クチコミ:57件
薩英戦争の際に一度だけ使われた砲台です。元々島津斉彬の命で整備され、反対側の桜島にも設置した砲台とともに鹿児島を守るために作られました。ところが薩英戦争ではイギリス軍の砲撃で陣地が崩壊し、目の前で英軍艦が座礁した際には攻撃を行うことが出来ない状態でした。
薩摩軍以上の死者をイギリスは出しましたが、鹿児島城下町の被害は甚大で薩摩藩はこれいこう攘夷が無理な事を知り幕末の歴史は動いていきます。
現在は砲台らしきものはなく、台座?の石垣と記念碑が残る程度、また海岸線も少し遠のいたため当時を知ることは碑がなければ難しい状態ですが、この場所での戦闘が薩摩藩の方針を変え歴史を動かすことになった重要な場所の一つです。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 祇園之洲公園の中です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 雨の為だれもいませんでした。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 碑と少しの石垣があるだけですが、薩摩の方針を変えた戦いです
クチコミ投稿日:2019/12/30
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