米沢市の中心、元の米沢城内で上杉謙信の祠堂を仏式でお祀りしていたという
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- 旅行時期:2019/05(約7年前)
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by ワンダラーさん(男性)
米沢 クチコミ:11件
上杉謙信が1578年に越後春日山城で急死し、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祀られていたという。
次代の上杉景勝が会津を経て1601年に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷され明治まで仏式だったという。
明治の神仏分離で謙信の遺骸は近くの廟所に移され、跡に謙信公と名君の鷹山公を合祀する上杉神社が建立されたという。
その後、明治35年に別格官幣社に指定された際に、鷹山公は隣の松岬神社に移されたという複雑な経緯を持つ神社だ。
さすがに境内は広く、旧別格官幣社だけの格式が感じられた。
お濠に囲まれた神社というのも、立派なつくりで、全国でも稀のように感じる。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2019/05/30
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