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末広稲荷神社

寺・神社・教会

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遊郭のあった稲荷町にある神社。高杉晋作、伊藤博文、藤原義江など。。

  • 3.0
  • 旅行時期:2019/03(約7年前)
tadさん

by tadさん(男性)

下関 クチコミ:143件

稲荷町には遊郭があった。長州軍と4か国連合艦隊の幕末の戦闘の後、伊藤博文がアーネスト・サトウを誘って、この近辺の一軒である大坂屋で、一緒に飲んだのも、このあたりだ。二人は、どちらもロンドン大学で学んでおり、この後、長い付き合いが始まる。この時は、通訳として、二人とも講和会議に参加していたが、後に、総理大臣と英国全権公使となっても、やりとりが続いた。二人が大成した後のやりとりは、アーネスト・サトウの日記などを読むと、細かく当時の動きを反映していることがわかり、痛快だ。幕末の戦闘の後、遥かに時間はたち、日清戦争時代になっても、この二人のやりとりは、続いた。日英同盟まで結ぶ両国は、当然、次の日露戦争に関しても、英国は、大変な助けを日本に行うことになった。

私には稲荷町といえば、このあたりで連れ合いを見つけたであろう伊藤博文、高杉晋作らのことも思い出す。最近、読んだ古川薫氏の「漂泊者のアリア」(直木賞受賞作)では、テナー歌手藤原義江のことも、このあたりに関係がありそうだ。藤原歌劇団として今でも名前が残る藤原義江は、父はイギリス人で、下関に住居があった。現在、藤原義江記念館として知られる建物がそうだ。そのリード氏は、下関で働いていたが、その時、稲荷町の琵琶芸者をしていた女性との間に藤原義江は誕生したそうだ。彼の波乱万丈の人生については、古川氏の本を参照のこと。

テナー歌手藤原義江の当時の人気はすさまじいものがあった。ビクター・レコードの赤盤として世界で発売された音楽家だったのだ!クライスラーやラフマニノフらと同列のレコードだった。

今はこの稲荷町も遊郭らしさはどこにもない。ただ、この石の階段の上にある神社に、かつての稲荷町の名前を残すのみだ。


施設の満足度

3.0

利用した際の同行者:
一人旅

クチコミ投稿日:2019/03/03

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