被爆した少女の手記が刻まれています…。
- 5.0
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
長崎市 クチコミ:57件
長崎平和公園の中心部にある『平和の泉』、平和公園の定番写真がこの泉の噴水の隙間から平和記念像を望むものですが、多客期には学生団体が群れを成して写真を撮るどころではありません。
昭和20(1945)年8月9日午前11時2分、長崎市松山町上空500mの地点で爆発した原子爆弾『ファットマン』の放出した爆風・熱線・放射線によって長崎の市民はバタバタと斃れて行きました。体内まで焼け爛れた被爆者は『水』を求めて呻き、そして亡くなりました。その痛ましい姿で亡くなった被爆犠牲者の霊に水を捧げて冥福を祈り、恒久平和を祈念するために長崎市と核兵器禁止世界平和建設国民会議が全国から集まった浄財を元にしてこの『平和の泉』を昭和44(1969)年に建立しました。
時間によって刻々と変化する噴水は『平和の鳩の羽ばたき』を形どり、つるの港といわれる『長崎港の鶴』を象徴しているそうです。その噴水の間からは平和記念像が望め、長崎平和記念公園の象徴ともされている風景です。しかしその平和記念像を望む『平和の泉』の『謂れ』が刻まれた碑に目をやる人は少ないようです。
のどが渇いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
―あの日のある少女の手記から―
と刻まれていますが被爆当時9歳の少女のものだそうです。水を飲ませてはいけない…。でも喉が渇いて仕方がない…。でもきれいな水は当然ない…。3つの『ない』の極限の状況に於いて、少女は水を飲むことを選びました…。
水は何かにつけて『平和』に結び付けられていますが、果たして平和の泉もそうだったのでしょうか…。勿論水が飲めないまま亡くなった被爆者の慰霊の意は汲み取れるものの、なにか他にないものかと思うところがありました。その時のその惨状を表すなにかを…そんな違和感を感じました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 松山町電停から徒歩8分程です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 石畳になっています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 想いはわかります。
クチコミ投稿日:2017/10/07
いいね!:13票
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