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大典寺

寺・神社・教会

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浄土真宗本願寺派の寺院です。

  • 5.0
  • 旅行時期:2016/03(約10年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

那覇 クチコミ:66件

浄土真宗本願寺(西本願寺)派の聖徳山大典寺。琉球王府時代は浄土真宗は禁教とされていたものの、琉球処分の後明治12(1879)年に宮崎県の大河内正念師が来沖に始まり、翌年明治13(1890)年には鹿児島の亀井慈雲師が来沖し、13年間の開教の準備がなされた後、明治33(1910)年に鹿児島県大島郡徳之島説教所より菅深明師が転任来島、那覇市上之蔵に?浄土真宗那覇説教所?を設置し、布教伝道を始めます。

翌年明治34(1911)には現在地に説教所を移転、寄留商人や官吏を中心に布教を行い漸次地元の沖縄の人々へも教化の手を進めて行きます。大正5(1916)には大正天皇即位の御大典を記念し、本堂及び庫裡を建立し?聖徳山大典寺?と寺号を公称、開基の菅深明師が初代住職となりました。

以降沖縄各地に布教所を開設し、教線を拡げていくと同時に非行少年の更生保護のため沖縄少年感化院(後の球陽学園)を設置します。また子女教育のため沖縄家政女学校(後の積徳高等女学校)を創設して、活発な教化伝道を展開していましたが、沖縄戦によってすべてが焼失することになってしまいます。

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)の教えのもと浄土真宗を沖縄の地に布教し、その過程に於いて更生所や学校を作るものの沖縄戦によって焼失し、戦後その学校施設が再建されることはありませんでした。

沖縄戦に於いて?ふじ(積徳)学徒看護隊?を結成した積徳高等女学校の生徒は、従軍した第24師団第二野戦病院院長の小池勇助中佐の?命を大切に?との考えのもと、多くの犠牲者を出した少年少女の学徒隊に於いて、3名の犠牲者で済んだ奇跡的な結果を生み出した学徒隊でした。勿論3名の犠牲者は出しているため、無傷とは言えませんがその比率はやはり目を惹く内容だと思います。しかし残念ながら学校は戦火で焼失し、戦後復興されることもなく廃校となりました。

アジアの寺院的な感じを受ける大典寺の境内には、積徳学徒看護隊や学校関係者の戦没犠牲者を祀るべく、慰霊碑が建立されています。寺院敷地内に置かれているため、花が絶えることもなく見る限り慰霊の気持ちを感じることができる場所となっています。内地の寺院とは違って、参拝時間はさほどかからないため、空港へと戻る?最後の目的地?のひとつとして訪れる価値はおおいにあると思います。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
空港から車で10分位です。
人混みの少なさ:
5.0
通常は参拝客もいないようでした。
バリアフリー:
5.0
基本足元は舗装されていました。
見ごたえ:
5.0
内地のお寺さんとは全く建物がちがいます。

クチコミ投稿日:2016/07/17

いいね!:8

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