沖縄戦の最中沖縄県庁が避難していました。
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- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
那覇 クチコミ:66件
那覇市真地の高台にある識名霊園。その東側に付近の繁多川の住民が?シッポウジヌガマ?と呼ぶ四方地の神が祀られている壕がひっそりとありました。沖縄戦の最中昭和20(1945)年4月中旬頃戦災を避けるために島田叡知事をはじめとした県庁職員や荒井退造沖縄県警察部長をはじめとする警察職員が、現松山公園にあった県庁舎から避難して来ました。
折りしも本当中部では米軍と日本軍が激しい戦闘を繰り広げている最中、このシッポウジヌガマに於いて市町村長会議を行うべく各自治体の首長に招集がかかります。そして砲弾が雨のように降り注ぐ中、昭和20(1945)年4月27日には県内17市町村長が集合し、壕内で沖縄県政最後の市町村長会議が開かれます。
その後戦況の悪化とともに首里の第32軍司令部が南部へと撤退することに従い、県庁も同行することになりました。昭和20(1945)年6月初旬のことでした。糸満市糸州の轟壕へと県庁が移動するまでの僅か約1ヶ月間このシッポウジヌガマが県庁壕となりました。火炎放射器で焼かれた跡も残っているこの場所は、多くの遺骨をはじめとする遺品が出土しました。平成22(2010)年には那覇市がこの?県庁壕?と?警察部壕?を文化財指定するとのことが新聞に取り上げられました。しかしその反面壕に?ゴミ?を投げ込む不埒な輩も多く、県庁壕保存のため平成23(2011)年1月より入口に鍵がつけられることになりました。
現在入口の鍵は、那覇市役所文化財課と繁多川公民館で貸し出しておられます。市役所で借りると往復の移動距離があるため繁多川公民館でお借りしましたが、現在一般の方には貸し出しておられないということも聞きました。一時は那覇市役所のみで貸し出されていたそうですが、現実的に壕を参拝する高齢者の方の便宜を図るため繁多川公民館で扱われるようになったそうです。要は?確固たる目的?がある方に対して貸し出すとのことのようです。なんとか?例外的?に借りることはできましたが、実際にはそのようになっていることはご理解下さい。
壕としては大きなものであり、入口の狭さを除けば大人が立って十分歩ける高さがあります。元々ヘルメットをかぶらなければ入れないような狭いところには、ひとりでは入らないようにしているものの、つい高さに油断したのか一回ですが頭をぶつけました。そして両手を自由にするためデジカメを首に掛けていると石にぶつけてしまい破損…、油断大敵と自分自身を戒めた場所でもあります。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 奥武山公園から車で20分くらい。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れたときには誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 段差は普通にあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 内部はかなりどっしりした感があります。
クチコミ投稿日:2016/07/09
いいね!:8票
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