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いわで御殿 施設情報・クチコミに戻る

紀州徳川家の別荘があった場所

  • 4.0
  • 旅行時期:2014/11(約10年前)
yoshimune-kunさん

by yoshimune-kunさん(男性)

岩出・紀の川 クチコミ:9件

岩出橋から700mほど上流に「いわで御殿」という建物があります。
現在は、通所介護や介護予防通所介護のサービスなどを行うデイサービスセンターを中心とする施設となっていますが、もともとは、ここに紀州徳川家の「巌出(いわで)御殿」という建物が作られていた由緒ある場所なのだそうです。
現場に建てられている看板に詳しい解説が書かれていましたので、その内容を引用させて頂きます。

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いわで御殿の由来と沿革
昔からこのあたりには風光明媚な小山があり、周辺の人々に景勝地として親しまれてきました。そこに妙見堂という建物がありましたが、慶安2年(1649)紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣がこれを和歌浦に移した後、その跡地に別荘を築かれたそうです。この建物を「巌出(いわで)御殿」と呼び、歴代藩主が参勤交代の時など、ここに宿泊していたそうです。八代将軍吉宗も幼少の頃は、ほとんどここで過ごしていたと伝えられています。
この地からは大台ケ原や吉野に源を発する紀の川、箱山、紀州富士の名で知られる龍門山の美しい姿を望むことができます。また当時は岩出の地名どおり川の中には人とり岩・畳岩・なまず岩・えぼし岩や車岩などと呼ばれる奇岩が点在していたそうです。さらに上流は我国有数の材木の産出地でしだので、筏が下り、景観に風情を添えていたと思われ、紀州家が別荘を建てたことがなるほどと頷ける景勝の地であったと思われます.
巌出御殿は、宝暦14年(1764)に取り壊された後、時代の流れとともに大阪では八州軒、横浜では臨春閣と所・名前を変えながらも、現在は横浜市・三渓園に「臨春閤」として国の重要文化財に指定され当時の姿を残しています。
さてこの地は、巌出御殿が取り壊された後、御殿山と呼ばれ昭和のはじめ頃まで公園として地元の人々に親しまれていましたが、奇岩のあった辺りが川の流れの障害となり再三にわたる岩出の水害の原因となっていたので川幅を広げるため、奇岩及び御殿山の一部を取り崩すことになり、かつての姿は失われています。
           岩出市
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解説にあるような奇岩の景観は失われてしまいましたが、現在でもこの場所からは悠々と流れる紀の川の景観を楽しむことができ、絶景の場所であることに変わりはありません。
また、文中にあるとおり、もともとの巌出御殿の建物は横浜の「三溪園」という庭園に移築されて、現在も「臨春閣(重要文化財)」として大切に保存されています。

岩出市の「岩出」という名称は、紀の川に様々な奇岩が点在する、という景観から付けられた名前だったのですね。しかも、そこに紀州徳川家の立派な御殿が建てられていたのです。
こうした歴史を知る人も、今では少なくなってしまったのではないでしょうか。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
3.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2015/10/13

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