神武天皇と名草戸畔との激戦の地
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- 旅行時期:2014/01(約12年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
海南 クチコミ:6件
海南の市街地から県道秋月海南線を北上し、海南ドライビングスクールからクリーンセンター、温水プールなどが並ぶ場所にある池が「クモ池」です。
ここは、熊野古道の「汐見峠」にほど近い場所にあり、神武東征の際に、神武の軍勢と地元の女性首長である名草戸畔(なぐさとべ)との最終決戦が行われた場所として知られています。
一説には、安原盆地から一旦退いた名草軍は、杉尾神社のある高倉山を本拠として竈山神社周辺に陣取る神武軍を攻め立てたものの、神武軍の別働隊が海から船尾に上陸して汐見峠経由で名草軍の背後を突こうとしたため、これを察した名草軍が急遽討って返し、クモ池周辺で激戦が繰り広げられたと伝えられます。
結果的に、南と北から挟撃されて形勢不利となった名草軍は高倉山まで退却し、ここでリーダーの名草戸畔は討たれてしまいます。そして、頭、腹、足の3つに切り裂かれて、それぞれ宇賀部神社(おこべさん)、杉尾神社(おはらさん)、千種神社(あしがみさん)の3か所に分かれて埋葬されることになりました。
「クモ池」の名は、神武天皇がここで土蜘蛛を退治したという伝承に基づくものと言われますが、もともと「土蜘蛛」とは古代日本において天皇に従属しなかった土着の豪族などに対する蔑称として用いられる言葉であることから、ここではまさに名草戸畔のことを指しているのでしょう。そう考えると、「クモ池」というのは、「名草戸畔池」と読み替えても良いのかもしれません。
県道沿いのありふれた池のように思える場所ですが、このような歴史のあることを知るとまた違った風景が見えてくるというのが、歴史の面白いところです。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/09/30
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