紀伊続風土記の編纂者による磨崖碑
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- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
岡公園の南東の岸壁に磨崖碑があります。
非常にわかりにくい場所にあるのですが、弁財天神社の脇から天妃山へ上る石段の途中を右に入ったところにあります。草や落葉に埋もれていることが多く、見つけるのは若干苦労するかもしれませんが、一度探してみて下さい。
この碑は、江戸時代の儒学者である仁井田好古(にいだ こうこ)のもので、「山寿仁人徳 水清廉士風」(やまはいのちながしにんじんのとく みずはきよしれんしのふう)という文字が刻まれています。
仁井田好古は、加太浦(現在の和歌山市加太)の農民の子として生まれましたが、幼年時代より学問に優れていたため,16歳で藩校の教員となったと伝えられます。
文化3年、好古は紀州藩第10代藩主徳川治宝から「紀伊続風土記」の編纂に総裁として取り組むよう命ぜられます。そして、編纂開始からなんと33年の年月をかけて天保10年に全192巻を完成させるのです。これは、藩内を郡ごとにわけて過去の地名との比較を考察するほか、田畑石高、人口、自然地理、水利、社寺・城跡などを詳細に記述した、いわゆる「郷土誌」で、近世の和歌山の状況を知る第一級の基礎史料です。類似の史料は日本全国に多数ありますが、紀伊続風土記は中でもとりわけ優れたものであると言われています。
好古は嘉永元年に79才で亡くなりますが、その墓所は加太の光源寺にあります。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2015/09/07
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