明治初期の四戦役における和歌山県出身兵士の慰霊碑
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- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
岡公園の中にある「天妃山(てんぴさん)」の山頂に碑があります。
これは「四役戦亡記念碑」と言われるもので、明治時代初期に行われた4つの戦役(佐賀の乱(明治7年)、台湾出兵(明治7年)、神風連の乱(明治9年)、西南戦争(明治10年1877年)に参加して亡くなった491人の和歌山県出身の兵士の慰霊のために建立されました。
建立されたのは明治12年で、これを契機として天妃山全体の公園整備が行われたということですので、いわばこの記念碑が岡公園のルーツであると言えるものです。
明治2年、紀州藩ではプロイセン(ドイツ)から軍事顧問を招き、1万4千人に上る本格的洋式軍隊を養成します。また、和歌浦の法福寺住職であった北畠道龍が率いる民兵組織「法福寺隊」も精強で知られていました。ところが、明治4年の廃藩置県によりこれらの紀州藩の軍事勢力は消滅し、一部は明治新政府へと移行されることになりましたが、和歌山に残った者も数多くいたようです。
この時期に発生した4つの戦役において、政府軍として活躍をした兵士の中にはこうした訓練を受けた紀州藩出身の者が数多くいたと思われます。また、和歌山に残った者の中でも政府軍に志願兵として参加した者があり、一説によれば西南戦争に参加した7,500余名の志願兵のうち4分の1が紀州藩の出身であったとも伝えられています。
この碑は、旧紀州藩14代藩主徳川茂承と旧紀州藩出身の陸軍将校らの発起によって明治12年に建立されたもので、碑の文字は有栖川宮熾仁親王の揮毫によります。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.0
- 小高い丘の上にあります
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/09/07
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