大石内蔵助が遊興した
- 4.5
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
伏見 クチコミ:7件
豊臣秀吉が伏見に城下町を築いた1596年、遊郭が伏見田町に設けられ、伏見城落城後の1604年には橦木町に移された。京街道と大津街道の分岐点に近く、京都の公家衆も多数訪れ、元禄期には芝居小屋や土産店が軒を連ねたという。大石内蔵助良雄も、隠棲していた山科から片道4キロ近い道のりを、徒歩で足繁く通った。
橦木町は京都で最も小規模な遊郭で、伏見港近くの柳町(現在の中書島)が栄えるようになると衰退するが、忠臣蔵ゆかりの地として知られ、「橦木町での密謀は成就する」とあやかる人も少なくなかった。
1958年の売春防止法施行により、遊廓は廃止されお茶屋9軒となり、1990年代初めまでお茶屋が営業していたが、21世紀までには全て廃業し宅地化された。現在は1918年に建てられた大門の石柱が残るのみで、往年の面影はない。
「仮名手本忠臣蔵」では、大石内蔵助が遊興したのは祇園の「一力茶屋」になっているが、実際は橦木町の「萬屋」であった。「仮名手本忠臣蔵」の作者は、「万」の字を二文字に分けて「一力」としたようだ。現在祇園に「一力茶屋」という店があり、「大石忌」を行っているが、この店は大石とは何のゆかりもないし、当時の祇園に遊廓はなかった。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 伏見駅から徒歩5分
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/06/26
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