民間人による北海道開拓の歴史
- 4.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by ちびのぱぱさん(男性)
江別 クチコミ:1件
北海道開拓は屯田兵が有名ですが、民間からの入植も多く行われていて、国からの手厚い支援のあった屯田兵に比べると、遙かに苦労が多かったようです。
30年ほど前に、大正時代に北海道に入植した方(明治20年生まれ)の経験を聞きましたが、藁葺きの粗末な家で猛烈な冬の寒さをしのいだり、ヒグマと戦ったり、それはそれは大変だったようです。
この野幌の辺りは江別太(えべつぶと)といって、江別市の元になっているところのようです。
ウィキペディアによると「太」つまりアイヌ語のプトゥというのは川の合流点という意味だそうで、地図を見ると、千歳川と石狩川が合流している辺りに江別駅があります。
この地には、主に新潟出身者が構成する「北越植民社」という団体が入植し、苦心の末に民間入植を成功させたことが、看板に示されています。
千古園は、その江別太を見下ろす小高い場所の上にあって、眼下に広大な耕作地が広がっていますが、その植民社の2代目の社長関矢孫左衛門の邸宅跡に作られました。
蝦夷オオカミやヒグマ、大量発生するヤチネズミなどの野生動物との戦い、厳しい気象条件との戦いなど、当時の開拓者の苦労を忍びながら歩くことが出来ると思います。
野幌駅よりJRバス「殖民社」下車、徒歩2分
車が便利でしょう。
すぐ道を隔てて、農産品の直売所が開かれます。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2014/11/03
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