明治維新に向かう精神風土形成に大きな意義があったと思います
- 4.0
- 旅行時期:2014/07(約11年前)
-
-
by T04さん(非公開)
鹿児島市 クチコミ:94件
「鹿児島市中央公園」の一角に「医学院跡」の碑がありました。碑の表面にある紹介文を読むと、設立したのは薩摩藩の名君であった第25代重豪公。設立は1774年といいますから第10代将軍家治の治世で、田沼意次が町人資本を利用するなど開明的な幕政改革に努めていた時代です。島津重豪公も、そうした開明的・進歩的な風潮の中、このような学校を設立できたのだと思います。”このような”とは、この碑の紹介文にあるように”希望する城下士・地方にいる郷士や足軽・町人も入学を許可され”という、それまでの身分制度を越えるような入学システムです。武士の家に生まれたら武士であり、他の身分の上に立つといった社会制度であった江戸時代において、身分を越えて切磋琢磨する学校ができたということは、自席の上では優秀な町人が武士を越えることもあったはずです。これが後に実力主義の新しい時代、つまり明治維新への精神風土の形成に大きく寄与したはずです。そう考えると、医学に留まらず、より大きな意義のある学校であったと思います。そう思って碑を眺めると、一味違って見えてくると思います。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 「鹿児島市中央公園」の一角にあります
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 公園内の一角ですから、人通りは少なくありませんでした
- 見ごたえ:
- 3.5
- まだ新しさを感じる碑で、表面には医学院のあらましや、かつての医学院を描いた絵がありました
クチコミ投稿日:2014/08/11
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する