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札幌建設の地碑

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札幌開拓当時の交通の要衝

  • 3.0
  • 旅行時期:2014/07(約12年前)
しそまきりんごさん

by しそまきりんごさん(男性)

札幌 クチコミ:1139件

札幌テレビ塔の裏側、創成川と南一条通りが交差する橋(創成橋)のたもとに建っています。
ここが札幌建設の基点とされた、いきさつはというと…
1857年(安政4年)、箱館奉行の命により、銭函~札幌~千歳を結ぶ道が作られたそうです。
(※江戸時代半ば過ぎには北海道内では、北方の脅威に備えるべく、えりも方面のサルル(猿留)山道や、長万部~虻田の礼文華峠を越える山道など、数カ所の官道などの道が作られていたそうです。千歳は、江戸時代前期には松前藩のサケ漁や交易の拠点となっていたそうです。)
そして、明治維新の2年前、1866年、大友亀太郎一行が原生林広がる札幌の開拓の先鞭をつけ、翌1867年には、創成川の一部であり、その基となった大友堀を開削したそうです。
1869年(明治2年)には、早くも明治新政府の札幌の開拓が始まり、札幌建設の地碑の台座にも書かれていますが、11月10日にこの場所を札幌建設の拠点としたそうです。ここは、銭函~札幌~千歳の道(銭函道)と、大友堀が交差する場所で、札幌の基点にふさわしかったのでしょう。
札幌の街は、南北を“条”で、東西を”丁目”で住所区分しています。札幌建設の地碑を札幌の基点としていても、この場所は南1条の東西の境目となる所で、”条”と”丁目”の中心からは微妙にずれます。南1条と北1条の間には”大通“という住所があり、大通の東西の境目から西1丁目にあるテレビ塔が住所上の札幌の中心となります。
また、大友亀太郎の像が、創成川を挟んだ碑の対岸にありますが、彼が初めて切り開いた札幌はここから2kmあまり離れた場所にあります。現在は彼の役宅があった場所に郷土資料館があり、昔の日用品や農機具などが展示してあります。また、入植当時からのものが残っている訳ではありませんが、その近くには大友公園や本龍寺、札幌村神社などがあります。

施設の満足度

3.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.5
人混みの少なさ:
3.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2014/07/25

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