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シニアの旅行 京田辺 酬恩庵一休寺  BYおしどり

  • 4.5
  • 旅行時期:2011/10(約13年前)
おしどりさん

by おしどりさん(男性)

京田辺 クチコミ:1件

酬恩庵一休寺は元の名を妙勝寺と言います。鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めであります。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名しました。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのであります。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのであります。

一休禅師は室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧。京都生まれで幼名は千菊丸。後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました。幼い頃より漢詩の才能を開花させ、『長門春草』を13歳のときに、15歳では『春衣宿花』を著しています。一休の名付け親は大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)。一休の「「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華叟が道号として授けました。その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没。一休寺で静かに眠っています。

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
4.5
人混みの少なさ:
5.0
見ごたえ:
4.5

クチコミ投稿日:2014/03/06

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