六波羅殿と呼ばれた、平清盛:平家一門の屋敷が営まれた地。
- 4.5
- 旅行時期:2013/07(約11年前)
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by 阿蘇美忍さん(男性)
東山・祇園・北白川 クチコミ:8件
踊り念仏で知られる市聖空也が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した。
十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。
空也は疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引き歩いたとされる。
そして、道々で念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったと言われる。
空也は応和3年に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行った。
尚、この時をもって西光寺の創建とする説も有るが、定かでは無い。
又、その当時の鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。
空也の死後、977年に比叡山の僧、中信が中興して天台別院として、六波羅蜜寺となる。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。
平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。
又、後に鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近で有る。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2013/12/07
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