京都知恩院の直末の官寺として、勅願所となった名刹
- 4.0
- 旅行時期:2013/04(約11年前)
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by たびたびさん(男性)
会津若松 クチコミ:141件
融通寺は、蒲生秀行が菩提寺と定めたことを機に、京都知恩院の直末の官寺として、勅願所となった名刹。ちなみに、蒲生秀行は徳川家康の女婿。長男忠郷は、秀行が亡くなり和歌山の浅野家に再婚させられた母の位牌を融通寺に安置しています。ただ、忠郷の跡は弟の忠知が蒲生家を相続。その後、松山20万石に転封、松山から加藤嘉明が40万石をもって会津に入ることになります。
境内には、戊辰戦争の悲劇で一家全員が惨殺された町野主水・家族の墓もあります。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2013/05/14
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