“仮名手本忠臣蔵”にゆかりの地
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- 旅行時期:2013/01(約11年前)
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by はまちゃんさん(男性)
長岡京・向日 クチコミ:252件
長岡京市調子地区の旧西国街道に「与市兵衛の墓」があります。周囲は住宅に囲まれており、うっかりすると見落としてしまいそうな環境です。ここは江戸時代に作られた赤穂浪士(萱野三平)をモデルにした歌舞伎や、人形浄瑠璃の“仮名手本忠臣蔵”の5段目“山崎街道”にゆかりの地で、元禄十五年(1702年)吉良上野介討ち入りを前に、萱野三平の義父・与市兵衛が、三平を赤穂浪士の一員に入れるため、娘のお軽を祇園に身売りし、その金50両を持って我が家のある山崎に帰ろうとしてこの地を通りかかった時に、斧定九郎なる浪人に殺され、後世、この与市兵衛の死を悼んで供養塔として建てられたものです。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/03/01
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