歴史文化遺産が多い神戸・和田岬
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- 旅行時期:2009/08(約16年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
神戸 クチコミ:87件
神戸・和田岬周辺には兵庫七福神や清盛七弁天など社寺、歴史文化遺産が多い。
JR、地下鉄の和田岬駅近くには和田神社(わだじんじゃ)と三石神社(みついしじんじゃ)がある。
西宮神社に祀られている通称「えべっさん」・蛭子大神(えびすおおかみ)は自凝島(おのころじまー淡路島などとの説ある)から最初に辿り着いたのが和田岬だといわれている。
1173年、平清盛(たいら の きよもり1118−1181年)は日宋貿易の拠点とするために、奈良時代に行基(ぎょうき668−749年)が開いたといわれる大輪田泊(おおわだのとまり)の改修整備を行った際、工事の無事を祈願して安芸国・宮島より市杵嶋姫大神(いちきしまひめのおおかみ=弁財天)を勧請し「清盛七弁天」と呼ばれる和田神社・氷室神社・真光寺・済鱗寺・恵林寺・兵庫厳島神社・花隈厳島神社の7か所の弁天社を建てたと伝えられている。
1658年、武庫郡小松村にあった岡田宮(おかだぐう)の神輿が和田岬の蛭子の森に漂着した折、領主・尼崎藩藩主の青山大膳亮幸利(あおやまだいぜんのすけよしとし)は蛭子大神と市杵嶋姫大神を合祀して和田神社は和田の明神と呼ばれるようになった。
1764年には朝鮮通信使が寄港し、和田神社で海上安全祈願を行い1766年、1778年には俳人・与謝蕪村(よさ ぶそん1716−1784年)が訪れている。
1863年には14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち1846−1866年)が勝海舟(かつかいしゅう1823−1899年)らを従えて来訪、この年に後に15代将軍になった徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ1837−1913年)も訪れている。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
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- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/11/26
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