蒙古襲来に際して元軍をやぶる一助だったとされる京都府八幡市の「航海記念塔」
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- 旅行時期:2012/07(約12年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
八幡・城陽 クチコミ:77件
神応寺総門の左にある五輪石塔が「航海記念塔」は重要文化財で高さは6.08m、幅2.44mの日本最大規模で、下から地輪、水輪、火輪、風輪、空輪とのこと。石清水八幡宮の宮寺だった旧極楽寺の境内に建立されたもので廃寺となって、石塔だけが残った。石塔建立の起源や作者は不明だが、言い伝えが残されている。
八幡神を九州の宇佐八幡宮から勧請した大安寺の僧、行教の墓だといわれているが、平安時代の末期に摂津国、尼崎の豪商が入宋貿易帰途の海上で 大シケにあい、石清水八幡宮に祈り無事に帰国できたことを感謝し、1171−1174年の間に建立したものとも伝えられている。以後、船乗りたちが航 海の無事を祈願に訪れるようになったことから「航海記念塔」と呼ばれるようになった。
鎌倉時代末期、1274年の文永の役と1281年の弘安の役の蒙古襲来に際して西大寺の僧、叡尊が石清水八幡宮で祈ったところ、神風が吹いて 元軍が敗れ去り、叡尊は彼等の供養をするため建立したともいわれており、謎が多い搭だ。
京阪八幡市駅から南へ徒歩5分。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/09/12
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