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御霊神社(大江)

寺・神社・教会

大津

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御霊神社(大江) https://4travel.jp/dm_shisetsu/11892435

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施設情報

施設名
御霊神社(大江)
住所
  • 滋賀県大津市大江6-13-28
アクセス
近江バス瀬田南小学校前バス停から徒歩10分
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(1件)

大津 観光 満足度ランキング 127位
3.22
アクセス:
5.00
博愛保育園前バス停徒歩5分。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
人混みの少なさ:
5.00
訪れた際には誰もいなかった。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
バリアフリー:
3.00
階段を登らなければならない。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
見ごたえ:
5.00
厳か感はないものの生活に溶け込んでいる神社であった。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
  • 満足度の高いクチコミ(1件)

    大友皇子を祀る移設された神社である。

    5.0

    • 旅行時期:2021/10
    • 投稿日:2024/04/23

    大津市大江六丁目の住宅街の一角に鎮座する御霊神社。近隣には鳥居川と北大路にも御霊神社があるためにここでは御霊神社(大江)と...  続きを読む便宜上呼ぶこととする。 第38代天智天皇が大津京に遷都し、それまで皇太子としていた大海人皇子に代わり自身の子供である大友皇子を皇太子に据え、次期天皇とすることを決めた。近江朝廷軍との戦いを回避すべく吉野に籠った大海人皇子ではあったが、朝廷軍が自らの命を狙っているとの報を重臣から受け挙兵することを決断する。最初こそ連戦連勝を続けていた近江朝廷軍ではあったが、不破関を大海人皇子の軍勢に抑えられたことから東国から近江へと向かっていた軍勢がそれ以上進めなくなり、結果として大海人皇子に付くこととなる。その後大海人皇子軍は連戦連勝を続け、遂に天武天皇元(672)年7月23日の瀬田川の戦いに於いて近江朝廷軍は大敗し、深手を負っていた大友皇子は近隣の山に入り自害をして果てた。 大友皇子が第39代弘文天皇として明治期に諡号されたことから現在でも大王に即位したかどうかはわかってはいないものの、その最期の地と伝わる場所は瀬田唐橋近隣に複数残っている。そのひとつが大江の御霊神社であるが、この神社は第9代開化天皇の第三皇子であった彦坐王の子孫と言われる治田連の子孫が大友皇子の神霊を祀ったことに創始すると伝えられている。以前は他の場所にあったが江戸時代初期に暴風雨に見舞われ倒壊し、江戸時代中期の明和年間に2回目の移遷時に現在地に鎮座し、今日に至っている。 住宅地の中にポツンとある御霊神社は、その一区画だけが浮いた感じを受けるものであった。しかし大友皇子を祭神とする神社としてではなく、正しく〝村の鎮守の神様〟の様相を呈していることには疑う余地はない。大友皇子を祀る三社の三者三様の違いを確認し、創始由来等からそれぞれの神社〝らしさ〟を感じることは古の様子が目の前に浮かんでくるような印象を受け、大変今日もい深いものであったと思う。  閉じる

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

    by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

    大津 クチコミ:114件

  • 大津市大江六丁目の住宅街の一角に鎮座する御霊神社。近隣には鳥居川と北大路にも御霊神社があるためにここでは御霊神社(大江)と...  続きを読む便宜上呼ぶこととする。

    第38代天智天皇が大津京に遷都し、それまで皇太子としていた大海人皇子に代わり自身の子供である大友皇子を皇太子に据え、次期天皇とすることを決めた。近江朝廷軍との戦いを回避すべく吉野に籠った大海人皇子ではあったが、朝廷軍が自らの命を狙っているとの報を重臣から受け挙兵することを決断する。最初こそ連戦連勝を続けていた近江朝廷軍ではあったが、不破関を大海人皇子の軍勢に抑えられたことから東国から近江へと向かっていた軍勢がそれ以上進めなくなり、結果として大海人皇子に付くこととなる。その後大海人皇子軍は連戦連勝を続け、遂に天武天皇元(672)年7月23日の瀬田川の戦いに於いて近江朝廷軍は大敗し、深手を負っていた大友皇子は近隣の山に入り自害をして果てた。
    大友皇子が第39代弘文天皇として明治期に諡号されたことから現在でも大王に即位したかどうかはわかってはいないものの、その最期の地と伝わる場所は瀬田唐橋近隣に複数残っている。そのひとつが大江の御霊神社であるが、この神社は第9代開化天皇の第三皇子であった彦坐王の子孫と言われる治田連の子孫が大友皇子の神霊を祀ったことに創始すると伝えられている。以前は他の場所にあったが江戸時代初期に暴風雨に見舞われ倒壊し、江戸時代中期の明和年間に2回目の移遷時に現在地に鎮座し、今日に至っている。
    住宅地の中にポツンとある御霊神社は、その一区画だけが浮いた感じを受けるものであった。しかし大友皇子を祭神とする神社としてではなく、正しく〝村の鎮守の神様〟の様相を呈していることには疑う余地はない。大友皇子を祀る三社の三者三様の違いを確認し、創始由来等からそれぞれの神社〝らしさ〟を感じることは古の様子が目の前に浮かんでくるような印象を受け、大変今日もい深いものであったと思う。  閉じる

    投稿日:2021/10/06

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