虎ノ門ヒルズまで散歩中に発見しました。
山門に「杉田玄白墓」とありましたので、ちょっと立ち寄らせていただきました。
日...
続きを読む曜日だったため、この周辺は閑散としていました。
よってこちらの「栄閑院」へ参拝されてる人はいませんでした。
ところで杉田玄白と言えば蘭学者で、かの有名な「解体新書」を著したお方です。
でも脱稿したのが83歳の時のようです。意外に高齢になってからだったようです。
高齢化の現在、ちょっと励みになります。
そして文化14年4月17日(1817年6月1日))に亡くなったようです。
享年85歳でした。
ひょっとしたら「解体新書」ができてホッとしたのかもしれません。
さて他のお墓にお参りする際には、寺務所へ声をかけなければなりませんが、「杉田玄白」のお墓であれば、そのままお参りしても良いと書いてありました。
墓所に入ってすぐ左にありました。とてもわかりやすいです。
ところで、こちらは浄土宗のお寺ではありますが、「猿寺」とも表示されていました。
ちょっとこの名前の由来が気になりました。
それは猿回しに扮した泥棒が、こちらのお寺に逃げ込んだそうです。
ところがその泥棒は、住職に改心させられて泥棒稼業を辞めることになりました。
そして猿をこちらのお寺に残して、諸国行脚に旅立ちました。
泥棒が残した猿は、人に慣れていたためお寺の人気者になったそうです。
これは寛永の頃(1624〜1643)の出来事のようです。
境内を見ると猿があちこちにありました。
狛犬ならぬ「狛猿」!も。
小さなお寺ではありますが、光明山天徳寺の塔頭として創建されたようです。
天徳寺は、浄土宗江戸四ヶ寺・江戸三十三観音霊場・西方三十三所でもあります。
ちょっとお近くにいらしたら、参拝されてみてはいかがでしょう。
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投稿日:2019/02/24