水ノ子島海事資料館
美術館・博物館
3.22
水ノ子島海事資料館 クチコミ・アクセス・周辺情報
佐伯 観光 満足度ランキング 46位
クチコミ・評判
1~2件(全2件中)
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灯台守の住まいだった建物です。
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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今現在、日本国内に設置されている灯台はすべて、無人で運用されているのだそうですね。といっても、各地の灯台を訪れると、その足... 続きを読む下のところに白い建物があり、ここは灯台守の住居(退息所というそうですが・・・)だったという説明をよく目にします。灯台と退息所は一体のものと思いますが、豊後水道にある水ノ子島灯台は変則的な場所で、灯台守の住まいを築くことも出来ない狭い孤島で、水ノ子島には簡便な宿舎を置き、生活の拠点は本土側のここ下梶寄に退息所が置かれたのだそうです。水ノ子島海事資料館は、元はその退息所だった建物で、当時の様子などを展示しているところです。余談ですが、水ノ子島灯台が設置されたのは1904年(明治37年)とのことです。当時の海路の管理は逓信省の管轄だったので、建屋の瓦には逓信省のマーク、今は郵便のマークとなっている「〒」が付いていました。逓信省の頭文字「テ」を記号化したものですね。 閉じる
投稿日:2022/10/13
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灯台守の暮らしぶりが見られます。
- 5.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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現在は、灯台は無人コントロールされているそうですが、イメージとしては、灯台といえば灯台守が思い浮かびます。しかも、僻地にあ... 続きを読むるのが灯台だとも思います。その代表の様な灯台の1つが水ノ子島灯台だそうです。豊後水道の真ん中近く、九州本土より14.5kmも離れたところにある、海中の小さな孤島とのことです。普通は灯台の足下に造られる待息所と呼ばれる灯台守の住居ですが、水ノ子島には狭くて造れなかったので、本土のこの地に待息所が造られ、現地の最低限の施設とは2週間交代で守り通したのだそうです。その待息所がこの海事資料館の建屋で、1903年(明治36年)に建てられたものだそうです。灯台守の生活様子や資料などを展示されていました。思い返してみると、待息所の中や灯台守の生活の様子は、映画の中の世界で知っているつもりになっていましたが、実際のところが公開されていて、見学したのは初めてだった様に思いました。
余談ですが、水ノ子島海事資料館の横に、入口の上に1985と書かれた赤っぽい頑丈そうに見える、大きな建物がありました。但し、ガラスは汚れていて使用されていないのは明らかです。これの正式名は水の子島多目的集会施設といい、ここの集落・下梶寄の公民館なのだそうです。誰が建てたのかですが、水ノ子島灯台の無人化が1986年(昭和61年)です。これに伴い、90年間の官舎を閉るのに当たって、地元に感謝をして運輸省が建てたのではないかと推測します。なかなか粋なことをするなぁと思いますが、10軒もない小さな集落に公民館は要らなかったのです。如何にも小役人の浅知恵ですねぇ。しかし、このまま朽ちるのを待つのはもったいなさ過ぎます。追加予算を付けて、地元に寄与するものに転用しなければと思いました。
閉じる投稿日:2022/09/09
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