砂坂孫左エ門の碑及び業績
名所・史跡
3.12
砂坂孫左エ門の碑及び業績 クチコミ・アクセス・周辺情報
砂坂孫左衛門の碑は、官造牧から西の海岸に降りた高瀬原にあります。この高瀬原付近は断崖絶壁で通路がなく、干潮時は危険な磯つたいを、満潮時は山手の急な道を3倍近くも遠回りして通るという大変不便なところでした。この難所に独力で道を開通させたのが砂坂孫左衛門です。その業績をたたえ後世へ伝えていくために、昭和2年西之青年会により建立されました。明治4年45歳の時、孫左衛門は娘の病気の平癒を神仏に願い、また人々のために高瀬原に道を作ることを決心。作業は困難を極め、かつ健康回復の願いかなわず娘は世を去ってしまいました。それでも孫左衛門は道路づくりを続け、その強い熱意に感動した集落の人々もいつしか孫左衛門に協力するようになり、ついに明治10年8月、12町(1,300m)余りの道が完成しました。
クチコミ・評判
1~2件(全2件中)
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記念碑に到達するのに難義しました
- 3.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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南種子町西之官造牧海岸にこの記念碑が建てられています。この付近は断崖絶壁でまともな通路がなく大変不便なところだったことから... 続きを読む、砂坂孫左衛門翁が明治10年に7年の歳月をかけて独力で約1300mの道路を完成させた。その偉業を称えて昭和2年に建立された顕彰碑です。
県道75号線から海岸へ降りるルート探しながら記念碑を見つけることができましたが、非常に判りにくいので参考のために詳しく記します。大川集落の“西海簡易郵便局”前から県道75号線を約1.5km南下すると、道路左手(海岸と反対側)に電柱が立っており、高さ2m余りの位置に“138へ492”と書かれた電柱標(添付写真参照)があります。その電柱の斜め前(海側)に車一台が駐車できるスペースがあります。そこに車を停め、以前は畑や田んぼで使う軽四輪車が通っていたと思われる、草がぼうぼうに繁る道を進んでいくと、途中から海岸に下りる獣道の様な道になり、そこを下っていくとやがて海岸に出ることができ、右手前方にこの記念碑が見えてきます。県道から記念碑まで歩いて約20分かかりました。獣道の様な道は非常に判りにくく、帰途に迷わない様、赤いテープなどを木に結び付けるなどして目印をつけておくと良いでしょう。
海岸側を歩いて行けば迷わないと思いますが、大川漁港から南下すること約1.5km、砂坂漁港からなら北上すること約1㎞の位置に記念碑はあります。いずれの経路も大きな岩がゴロゴロある海岸で非常に歩きにくいので注意が必要です。
閉じる投稿日:2020/11/16
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独力で道路を切り開いた
- 3.0
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
- 0
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基本情報(地図・住所・アクセス)
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