観音寺城跡
名所・史跡
3.31
観音寺城跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
近江八幡・安土 観光 満足度ランキング 47位
築城年代は明らかでないが、近江の守護佐々木氏累代が居城し、同氏が六角と京極の二流に分かれてのちは、惣家六角氏の居城となった。 安土山の南方、湖東で一番高い観音寺山の山頂を本丸とし、山の要所に郭や砦を構え、近くの峰々にも支城を配した規模の大きい中世の山城であった。 永禄11年(1568年)六角義賢(承禎)・義治父子の時、上洛を目指す織田信長に進攻されて落城、以後は廃城となった。 今、山の所々に石塁や郭の跡が残る。 六角義賢(1521年-98年) 観音寺城主。入道して承禎。近江南半国を領有、足利将軍義晴・義輝を庇護。信長に攻められて落城。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
六角氏のことを思うととても感慨深い場所
4.0
- 旅行時期 2024/04
- by たびたびさん
観音寺城跡は、標高432mの観音山の頂上付近。桑實寺経由で登りましたが、1時間くらいは十分かかったように思います。石垣跡が... 続きを読むまあまあ残っているくらいで、そこからだと眺めとかは望めません。ここでスカッとする気分を味わえるという城跡ではないですね。その後、観音正寺の方に移動すると視界が開けました。 ちなみに、観音寺跡は、近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城。ただ、近江守護というのがややこしい。つまり、近江源氏佐々木氏の宗家は六角氏であり、近江守護は六角氏だったのですが、佐々木信綱(六角氏)の四男、氏信を祖とする京極氏が台頭。応仁の乱において、京極氏11代、京極持清は東軍に付き、西軍に付いた六角氏12代、六角高頼の観音寺城を落とし、近江守護に任じられました。ただ、六角氏は滅びたわけではなく、一族は南近江を支配。北近江の京極氏と南近江の六角氏の構図は続きます。その後、京極氏は内紛もあり、浅井氏の台頭を許すことになるし、六角氏15代、六角義賢は三好長慶や浅井長政との抗争で弱体化したところに信長の上洛軍を前に逃亡。名家、六角氏はあっけなく歴史の舞台から姿を消しました。 観音寺城跡は、六角氏のことを思うととても感慨深い場所だと思います。 閉じる
クチコミ・評判
3.31
(13件のクチコミ)- アクセス:
- 2.06
- 人混みの少なさ:
- 4.11
- バリアフリー:
- 1.75
- 見ごたえ:
- 3.11
1~12件(全13件中)
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石垣が残るのみ
- 3.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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案内が整備されておらず全体が把握しにくい
- 2.5
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 16
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百名城の一つの六角氏居城跡
- 4.0
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
- 0
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険しい道のりを頑張りましたよ
- 3.5
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
- 0
日本100名城のひとつである「観音寺城跡」に行ってきました。事前に調査していったのですが行き方がわかりません。レンタカーを... 続きを読む借りナビを頼りに行きましたがかナビは賢いですね問題なく行ってきました。林道を登って行きますが有料道路600円が必要で数台の駐車場があります。到着だぁー、と思ってはダメですよ。ここからが大変です1200段と言われる石段を登り到着ですが城壁などは見当たらず観音正寺に到着です。あれー?と言う気分ですね。観音寺城跡へはここから大仏の横(標識あり)を更に険しい道を歩き15分くらいだったと思います。本丸跡に到着です。大変でしたが名城のスタンプをお寺の事務所でいただきます。体力がいりますよ水分補給も、覚悟してご訪問くださいね。ファィト! 閉じる
投稿日:2020/07/04
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下から登ってプチ登山体験
- 4.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 0
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百名城の一つ
- 4.0
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
- 0
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山城は麓から登ると楽しい
- 4.0
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
- 0
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城跡めぐり:観音寺城跡、曲輪と石垣
- 4.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 0
登りは桑実寺から本丸へ、下りは本丸から観音正寺側の車道に出る。
登りは25分程、下りは20分程要する。
桑実寺から... 続きを読むの登りは、幅の異なる石段のほぼ直登。寺から本丸までもほぼ急な登りが続く。イッキに登るとかなりハード。
桑実寺の山域・寺域を抜けるため、観音寺城跡に行くためには、寺を観賞するつもりも無いのに、僅か50m程の距離を抜けるだけで300円もの入山料を払わなけれならない。
寺のくせボッタクルな!
登りきると、いきなり本丸の石垣の虎
口に出る。
広い本丸には、虎口石垣・土塁が確認でる。満足する遺構、城跡を確認できたことから、ここで引き返し同じ道を下ろうと考えたが、曲輪群がもっと確認できるはずだと思い観音正寺方面へ行く。
下る途中に観音正寺方面と伝平井氏屋敷方面への分岐標識あり。伝平井氏屋敷方面に進む。
そこには曲輪群と曲輪群に残る石垣の遺構あり。本丸跡の遺構とは比較にならない程の見事な遺構である。
分岐に戻らず、そのまま木に掲げられた赤いリボンを目印に下る。観音正寺に続く車道に出た。この下りのコースは、現状は整備不足で、山歩きに慣れていない人には危険度が高く不向きである。
この観音正寺に向かう車道の登り口には、料金所があった。車で観音正寺に向かうには通行が搾取される。
寺のくせボッタクルな!
安土の町は、観光客からボッタクルことが本当に好きな町だ❗
閉じる投稿日:2016/03/28
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日本100名城 52番目
- 2.0
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
- 0
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お寺からわき道にそれるとある。
- 3.5
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
- 0
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百名城でも難所の城。
- 3.5
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
- 0
日本百名城52番にも登録されている観音寺城。西国三十三か所参りの第32番でもある、観音正寺に隣接していて、観音正寺のアクセ... 続きを読むスと同様に、麓からかなりの石段を登らなければなりません。
南側(新幹線側)から登ると、1200段の石段があります。
また、駐車場が中腹にありますが、ここからでも400段ほどはありますので注意が必要です。
お寺の本堂からわき道にそれて獣道を歩いていくと、石垣が多く残る本丸に至ることができます。
応仁の乱ではここを舞台に戦いが繰り広げられたんだとか。また、遺構として残っているのは、これら石垣と井戸跡ぐらいですが、早い段階から石垣づくりの城で、のちの築城技術に大きな影響を与えたことは確か。 実際織田信長はこの城を参考に安土城を築城したそう。 閉じる投稿日:2013/12/02
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観音寺城
- 3.0
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
- 0
1件目~12件目を表示(全13件中)
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
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