院内銀山跡
名所・史跡
3.22
院内銀山跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
湯沢(秋田) 観光 満足度ランキング 36位
院内銀山は慶長11(1606)年に発見され、佐竹藩直営の銀山として経営されました。天保4(1833)年から約10年間は年間の産銀量が千貫を越え、「天保の盛り山」と称される最盛期を迎えます。 この当時の銀山は人口15,000人あまりを数え、城下町久保田(今の秋田市)をしのぐほどの活況を呈したと伝えられます。その後、明治維新をへて新政府直轄の経営となり、近代化を推し進めていきます。しかし、銀価の崩落や鉱脈の堀り尽くしなどでしだいに衰退し、昭和29(1954)年には完全閉山。約350年にわたる長い歴史の幕を閉じました。今も院内銀山跡地には当時の坑口などが見られ、かつての面影がしのばれます。 明治14年9月21日の明治天皇東北地方ご巡幸の際には、五番坑(御幸坑)に入坑されました。この日は日本の「鉱山記念日」と定められています。
クチコミ・評判
1~2件(全2件中)
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かつての銀山の町も今は森林のみ
- 5.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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過去 日本一の大銀山
- 3.5
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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1件目~2件目を表示(全2件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
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あおしさん
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ose310さん