龍口寺に行った後に鎌倉山の檑亭(らいてい)に行こうと地図を見ていたら、七里ガ浜に日蓮聖人が雨乞いをしたという...
続きを読む跡地があることを発見しました。
そこで七里ガ浜から向かいましたが他の皆さんが行く海とは反対方向に向かいます。
道の角に「日蓮聖人雨乞霊跡道の石碑」があるのですが、ぼーっとしていたら、通り過ぎてしまいました。
ちょっとわかりにくいので、注意をして行ってください。
このお寺は干ばつに苦しむ民衆を法力で救った日蓮聖人由来しています。
1271年、干ばつのため時の執権北条時宗に雨乞いを命じられた極楽寺の忍性は雨を降らせることができず、かわって日蓮がこの地に立って「南無妙法蓮華経」と唱えると雨に恵まれたといいます。
ただ昔は干ばつに悩まされたこの地ですが、令和元年は10月の台風19号によって、被災してしまいました。
よって私が訪れた時には、修復工事をしているところでした。
そのため御朱印の受付ができない状態でした。
また大雨のせいで、まだ足元が良くない状態でした。
それから、このお寺に向かう際に通った川がありますが、「行合川」とありました。
この名前の由来は・・・・・
文永8年(1271年)9月12日の夕刻に、平頼綱により幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で、鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮聖人は捕らえられました。
そしてはだか馬に乗せられて江ノ島片瀬の龍の口の刑場へ連行されました。
翌日の9月13日子丑の刻(午前2時前後)、日蓮聖人を土牢から引き出して斬首しようとしたのですが、まさにその時、江ノ島の方向より光の玉がやってきて、役人たちは目がくらみ刑を執行できませんでした。
「日蓮の首は斬れません」という早馬が鎌倉に向かい、鎌倉からは「日蓮の首は斬るな」との連絡が、小さな川で行き合ったため名付けられました。本当に小さな川です。でもその川は七里ヶ浜へと流れています。
結果的には日蓮聖人は、佐渡へ流罪となりました。
本当に今も昔も自然の力というものは大きく、時として牙を剥きます。
だから祈らずにはいられないのでしょう。
まずはこの霊光寺の修復が早く行われますよう、お参りさせていただきました。
ちなみにこちらから、てくてく歩いて鎌倉山の坂道を上って、檑亭(らいてい)に行きました。
いい運動になりました。
七里ヶ浜の海は勿論素敵ですが、良かったらちょっとだけ日蓮聖人の足跡を辿ってみてはいかがでしょう。
また違う顔を見せてもらえます。
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投稿日:2019/11/03