該寺は臨済宗妙心寺派に属する興津清見寺末寺で正式名は澤田山大中寺と称する。
創建は、京都天龍寺を建立した夢窓疎石(む...
続きを読むそう そせき)(建治元年(1275年)〜観應2年(1351年)10月20日)であり、南北朝最初期と推定されるが、度重なる兵火、及び、火災が原因で資料一切が焼失し具体的創建期は不明である。
また、夢窓疎石は造園築庭でも知られ現存するものでは、
京都天龍寺(世界遺産 国指定特別名勝)
京都西芳寺(世界遺産 国指定特別名勝)
鎌倉瑞泉寺(国指定名勝)
等々が存在し、該寺でも嘗て江戸後期まで夢窓疎石築庭園が存在した事が知られている。
該寺は應永年間(1394〜1428年)に兵火の為に焼失し一時衰退したが、太原雪舟(たいげん せっしゅう)(明應5年(1496年)〜弘治元年(1555年)11月23日)に依り中興した。
江戸期に入り、徳川将軍家の篤信を受け、第3代将軍 徳川家光(とくがわ いえみつ)(慶長9年(1604年)8月12日〜慶安4年(1651年)6月8日)より寺領11石7斗が安堵され幕末に至った。
該寺に於ける最古の建造物は天保12年(1841年)建築の山門で、木造入母屋造の2層鐘楼門構造様式である。
明治26年(1893年)7月15日に沼津島郷地区に御用邸が開設された事で皇室関係者の訪問が発生し、特に、大正天皇(たいしょう てんのう)(明治12年(1879年)8月31日〜大正15年(1926年)12月25日)は、皇太子時代に愛鷹山(あしたかやま)への狩猟や散策の際に該寺を訪問され、皇孫裕仁親王(ひろひと しんのう)殿下(明治34年(1901年)4月29日〜昭和64年(1989年)1月7日)(のち、昭和天皇)も、避寒時に於ける沼津御用邸東付属邸での御学問所講義の合間を縫ってお立寄りされる事が増えた事から、明治42年(1909年)に御座所 恩香殿(しこうでん)が建築されたが、命名は皇太子嘉仁親王待講 三島中州(みしま ちゅうしゅう)(文政13年(1831年)1月22日〜大正8年(1919年)5月12日)、扁額は徳川家達(とくがわ いえさと)(文久3年(1863年)8月24日〜昭和15年(1940年)6月5日)の揮毫である。
該寺では、明治31年(1898年)から明治33年(1900年)にかけて植樹した数百株の梅が成長し現在では沼津地区に於ける梅園で知られた存在である。
恩香殿は平成12年(2000年)国有形文化財建築物指定。
大中寺(だいちゅうじ)
沼津市中沢田457
?: 055−921−1086
東海道本線沼津駅南口 富士急シティバス中沢田停留所降車 徒歩1分
http://www.daichuji.com
閉じる
投稿日:2012/02/16